歴史の重み

予備校だ!3月に鳴けホトトギス/遅すぎる今さらないよホトトギス/この辺で鳴いてやろうかホトトギス/今度だけ譲歩してくれホトトギス/一度だけ鳴けば済むんだホトトギス/このばあい鳴くのは危険ホトトギス/鳴いたあと無事でいるのかホトトギス/いま一つ個性が欲しいホトトギス/フィナーレは永田町だぞホトトギス/印税は武将に入るホトトギス/本当はそんなヤツかよホトトギス/鳴かないとカラス以下だぞホトトギス/声以外評価しないぞホトトギス!/鳴かぬならこうするまでだホトトギス





 この季節、ホトトギスが鳴きまくるということはなくなりました。つらつら思い出してみたらホトトギス・シリーズには遥かな過去から続く長い歴史があったのです。そんなこと自分自身も忘れていました。
 あれは199Q年、大学1年の時の話です。まだ大学の空気に毎日ウハウハしていたころ、ずいぶん年の違うクラスメートのなかでも仲のいい男四人組は、授業のない水曜の午後には必ず連れだって新宿東口近くの地下にある激安ピザ屋に情けなくシケ込むのでしたが、ナゼか予戦国武将の代わりに大学の先生たちをネタにホトトギス川柳を作ろうという話になったのです。今では誰がこんなクダラナイお題を出したのか、どうしても思い出せません。その時に出来た作品も覚えていません。全て「鳴かぬなら…」で始まっていたのは間違いないのですが、確か「鳴かぬなら相談しようホトトギス」とか「鳴かぬなら殴ってやろうホトトギス」とか「鳴かぬならお菓子でつろうホトトギス」とかそうゆうのが出来たのでした。しかしこれら三作も、当時の小生らの特異な感性の産物だけに、誰についての作品なのか見当も着きません。大学という場所、それ自体が不思議空間に見えていた春から初夏にかけての短い短い期間に特有な感覚が懐かしまれました。