セミのヤツ

昨日の朝でした。近くの山に行くとセミのヤツが一匹だけ意地で鳴いていました。街のセミの連中はもう根性が尽きてしまったらしく、街は静かになっているというのに、最後までネバっているセミに妙な親近感を感じております。ホトトギスもそうでした。夏の暑さが本気になるとホトトギスはウグイスに負けてガンガン脱落してゆきました。そしてある朝、最後の一羽が脱落してゆきました。こうゆうのホントに気になるんであります。しかしここで少し考えます。セミのヤツは本当に根性で鳴いていたのか、もしや単に出遅れただけのマヌケだったのかも知れない。あるいは逆に極めて快適な環境なるが故に街より活動期間が長いということだ、とも想像できます。こんな感じで想定可能な理由は色々あり得ます。昔々の話ですが中国の詩人荘子の本に変な話が書いてありましたっけ。ある男が泳いでいる鯉を見て「気持ち良さそうに泳いでるぜ」とか言うと、別の男が「そんなん鯉になってみなきゃわからん」とイヤ〜なツッコミを入れたとか…。確かにその通り、例の「最後のセミ」についても同じで、ヤツの事情は普通の人間には理解できません。まあ暑いのは事実で、こう暑い
のがセミに都合がいいのは間違いないのでしょう。一方小生は暑いと参るのであります。毎日暑いのも参りますが、涼しくなって油断している状況下での熱線攻撃は余計に参ります。暑いときに最も悔しいのは頭脳の性能が極度に落ちることです。頭脳の性能が高いかどうかについては自信をもちませんが、面白そうなことを考えて過ごすのが唯一にして最大の楽しみなのは確かなんです。故に暑い一日の終わりは心一面が無念となります。ここ数日は真空とか華厳学とか関する頭脳の疲れそうな読書も一時お休みしております。昨日あたりは発生学の本など読んでおりました。