この役立たずめ!

昨日の深夜、窓を開けてみたら外では暗黒空間のなかで不思議な暖かさをたたえた空気が緩やかに揺れ動いていました。静かな夜に「西洋医学伝来史」を読んでいると、日本に伝わった南蛮医術がヒポクラテスやガレノスの教えに基づくギリシャ医学の系統に属するということが書いてあります。その全貌を掴むべく、手始めに同じギリシャ医学の仲間であるアラビア医学のことが調べたくなりました。手元にあるのは唯一アビケンナ→イブン・シーナーの「医学の歌」の最終箇所の和訳でしたが、これは色々な症状が原因別にズラリと整理された部分でした。これを読んでみると当時のアラビア医学の診断の基準が見えてきます。この書では病因を四大体液によって分類していて、治療は主に食養生によって進められたことが理解できました。個人的な感想としては「医学の歌」での四大体液説よりインド発祥のアーユルヴェーダ医学の三大要素に基づく診断基準の方が遥かに系統的な感じがありました。なんとなくアーユルヴェーダの言う人体の各系統の機能は現代医学の複数の機能系を合体させて捉えると解りやすいと思いました。例えばピッタという要素は肝臓と脳神経系の機能を合
わせた世界に
似てきます。同じくヴァーチも運動神経系と大脳皮質、それに呼吸器系が一体化したものに見えます。アラビア医学の機能系はそうゆう現代医学との対応性も感じられませんでした。こうして何とかアジアの伝統医学の基本的なアウトラインを眺めましたが、ナゼか医学史関係の本からはこうした情報は得られないことが多いんです。「西洋医学伝来史」も含めて医学史とか科学史とかの本のなかにはホントに解って書いているのか疑わしいのが結構あります。大体のヤツが昔の本の名前とか人物の略歴とかをズラズラ並べでいるだけで、各時代に何が行われていたのか、各人物が何を発展させたのかなど実質的な内容が書けていません。いくら慣例的な著述スタイルがあるとはいえ酷すぎます。だから学者は役立たずだとバカにされるんです。医学史が単なる医学の年表作りのための事務作業の域に閉じ込められてしまったのは、ほぼ何も考えずにルーチンしている「専門家」たちの責任です。実際に医学史は多くの関連分野をもち、その成果は広い領域に有用な情報を提供できる潜在的可能性を秘めています。それどころか医学史は現在こうして生きている人間の役に立つ学問領域になる
可能性までもっています。歴史の流れに置き去りにされた過去の技術のなかにも現代に活かせるヒントがあり、今日も現実に生きている人間の切実なニーズに応える貴重な情報も秘蔵されているんです。そうゆう意味で医学史も基本的に現実の人間を救うのに役立つ学問分野なんですが、まあ人様の役に立とうという志もなく、何も考えずにセッセと書名だの人名だのを並べていればメシが食えるんだから、学者というのもノンキな稼業です。この役立たず!給料泥棒!いやさ、税金泥棒!そういえば別のジャンルにもこうした役立たずな本がありました。「アメリ言語学史」なんざぁその代表と言っていいでしょう!まあ学者の名前と著書の名前と所属学会名が際限もなく羅列されているノンキな本でした。これでは社会のためどころか、言語学を学びたい学生の役にも立ちません。いやいや、こんなん読んだら言語学だってやりたくなくなります。「○○史」、どうか「何があったか」「何をしていたか」という述語型の記述スタイルで作ってほしいもんです。プンプン!