ごーすと

anesti2014-02-07

著作権、ナゼか気になるホトトギス! ・ プロの作曲家が無能なスターのために18年間もゴーストライターをやっていたという噂、誠にサスペンス劇場なんかに出てくるような話です。ドラマの場面だったら殺人事件の謎解きシーン、舞台は崖の上か深夜の音楽堂、そこに追い詰められた容疑者と捜査員…。それとも真相を突き止めた関係者?「あなたは実は作曲が出来ない!」と迫る相手の気迫に開き直った容疑者は「そうよ、私が殺ったのよ!」と殺人に至る経緯を話はじめる…。しかし、今回のセンセーションは小説ではないのです。それは「事実」とは断定されていないにしても、映画やドラマのセリフでなく、事件の当事者が事件について自ら語っているのです。小生が大好きなオザナリなコトバで表現するならマサに事実は小説よりナントカです。それにしても皮肉なのは、今回の新垣氏の2時間ドラマばりの内容の告白会見によって前日までは事実として語られていた感動のエピソードが一転してチャチな作り話となってしまってしまったことです。なにやら新垣氏の会見、背景には色々あったんでしょうが、全体的には悲哀が漂うものに見えました。ゴーストの悲哀!小生、ゴーストで書いたことはありませんが物凄く解ります。とくに18年前にゴース
トを引き受けたときの新垣氏の述懐にはドキリとしました。そう、自分の作品が世間に出るなら名前は出なくても満足だ。この気持ち、一度でも自分の作品を世に出そうと本気で思った人なら誰でも抱いた感情だという気がします。小生は山下事務所の仕事で一度だけ名前がでないけど全国の関係者が見るような文章を書いたことがあります。手柄は全て元請けのものになりましたが、やっぱり自分が参加した仕事が製品となって今も全国で売れる、しかも現実に多くの人の役に立っていると思うと、ひとりニンマリと不敵な笑いを浮かべたくなったります。こうゆう仕事、考えてみると元々表に出る作者の名前すら存在しないんですから、ホントの意味でゴーストです。なにせゴーストには初めからカラダなんかない!ところがカラダがなならないで一種特有の気持ち良さはあるもんです。これは工業デザインの快楽とでもいうのでしょうか。確かに工業デザインの仕事は音楽や美術や文学のように感動を呼んだり称賛されたり、巨万の富を築けたりしそうもない世界、場合によっては広告や包装のデザインなんかだと用が済んだら即座に、無慈悲に捨てられてしまいます。それでも自分の作品が社会のなかで生きているのを見ているのは快感だと想像できます。実はリアルなクリエイターと幽霊は今日も控えめな感じで我らの隣にいるのです。