商家の教え

ソロバンをこっそり弾くホトトギス! 

ここ数週間は割ける時間の全てを総動員して宗教書や精神医学書、さらに恋愛論やら催眠誘導など人間の特殊な日常的意識状態に関わる膨大な量の本をバカみたいに読んでいました。さて昨日は久しぶりに世間に顔を出して、昔からの牛乳屋さんだったお家を訪ねる機会がありました。こちらでは時々ご用のついでに商売の知恵やら何か面白そうな思い出話なんかを聞かせて頂きます。先日もこんな話です。他より安く売っていてもお客にはその値段が当たり前なんだから、安いだけで同業に勝てるワケではない、という話、集金に行った家でお客がお金を出すのに手間取っていたら、外で待っているより一度出直してくる方が気遣いをさせずに済むという話。そして重いビンを運ぶ苦しい仕事でもイヤそうな顔をしていると、その仕事自体が惨めな職業に見られてしまうので楽しそうに商売するのも最後には得になるという話など、なるほどその商売の人じゃないと解らない微妙な世界があることを改めて確認しました。客商売という意味では商家にも色々と知恵があって、それが商家特有の発想へと反映されます。例えば近所のデンキ屋さんと、新しく町に出来た店の話をしていたら、デ
ンキ屋さん、「今度は人がどっちの道を歩くかなあ」と言うのでした。そうか、新しい店とくれば町の動線の変化かあ!勉強になります。こんな感じの商家の知恵、場合によってはそれが家に代々語り継がれているものです。我が家は元々落ちぶれた殿様の末裔ですが、先々代まで商売屋でして、その教えの一部を小生も聞いて育ちました。その教えは善の秘密結社「山下グループ」のメンバーとして動いていた時期にも強烈に役立っていました。特に日本○○ル協会の教材作り(下請け業務)やら後輩の論文指導(趣味)なんかを通じて商家の教えの凄さを思い知りました。しかし、平田篤胤ばりの超過激な性質の小生が、商家の教えなんて語れるはずがないだろー!と愉快な仲間たちから厳しい突っ込みも入りそうです。よくよく解っておりますが、これは考えようで、小生だからこそ商家の教えに助けられているとも言えるんです。さて言い訳もこの辺にして、小生の心に刻まれた断片的な商家の教えを一部ご伝授いたします。

その1:賭け事やるなら商売やりなはれ。こんなにオモロイ賭け事はあらへんでぇ。[商売の方が常に元手を意識するので駆け引きが複雑で楽しさもスリルも2倍!]


その2:床屋はええなあ、お客のものを取って、ついでにお金も貰えるんやでぇ。[金銭と物の動きだけではソロバン勘定は出来ない。金やモノという形を取らない価値のを流れを見極めるのだ!]


その3:貧乏人はなぁ、日が登ったらお金が出て行くんや。ほいでお金持ちはなぁ、日が登ったら何もせんでも向こうからお金が入って来るんや。[お金持ちのところには儲かる話も集まり人も集まる]


その4:福神漬けは食ったらアカンねんでぇ、あれは八百屋の前に落ちたクズを集めて作るんや。[いつも物が作られ手元に届くまでの過程をイメージしておくと色々役に立つ]


その5:お金には足が付いてるんや、そやからお金をオアシゆうんや。捕まえておかんと勝手にどこぞへ行ってまうんや。[お金は基本的に動くもので、流通が大切なのだ。だから逆説的に考えると流通を意識しないでお金を無理に手元に留めようとするのも不健康というものなのだ]

そうそう先代まで我が家では赤○新聞やら聖○新聞やらも購読していましたが、これも先々代の教えでは、新聞代くらいでお得意さんの数が増えるんやから取ってても損にはならんわ。というものでした。子供にも解りやすい投資という概念の説明です。商家の教えというものの多くは案外とカネそのものから少し離れた領域に関係しています。それは目先の状況への執着や効果を伴わない理念や固定的な対象認識を嫌う発想に溢れているのが判ります。商家の目は常に金額や量という固定的な対象の姿の背後にあるベクトルやポテンシャルを見ているのです。