ハロウィーンに神降ろし

ハロウィーンは信長で行くホトトギス

どうも米国風な感じのパーティーが大嫌いな小生、クリスマス、バレンタインについで米国風ハロウィーンが日本に上陸する日を心の底から恐れていました。しかし、まさかあんなん日本には定着しないだろうとタカをくくって安心しきっていたんです。確かに80年代当時でも西洋かぶれの鼻持ちならないインテリ層なんかの家庭ではハロウィーンの日に合わせてホームパーティーみたいなのをやっていたようですが、なんだかイマイチな感じで小生の不安をキレイに粉砕してくれていたのでした。しかし人間が自分に都合のいいことばかりアタマのなかで考えてみても現実の世界の動きを止めることは出来ないんですねぇ。思い知りましたよ、アタシゃ!昔々の寺田寅彦博士ではありませんがハロウィーンが忘れたころに上陸してきたのですよ!しかし現実は人間の憶測を軽やかに超える意外な展開を見せるもの。憎っくき鬼畜米英の軽薄千万なお祭りも上陸してみりゃ現下のお姿。緻密に計算し尽くされた米国の文化侵略計画も速攻で腰くだけになり、パソコンは今や本家たる米英も羨むニッポンこすぷれ祭りに変貌してしまったというオチ。ざまあみろぃ!この景色なら小生も大好物
の極楽絵巻であります。たけし師匠あたりは日本化して変わり果てたハロウィーンが少々面白くない御様子ですが、少なくても日本では古くよりお祭りと仮装は一体なもので、むしろ日本文化の最古層に横たわる神降ろしの論理と直結しています。例えば奄美や沖縄を含め西太平洋の辺縁に点在する南の島々ではお祭りで神に仮装した人は実際に神になります。ですから極端なことを言えば日本型ハロウィーンも現代に蘇った一種の神降ろしとも考えてられるんです。まあ日本の伝統的な仮装と現代の日本型ハロウィーンとの最大の違いは、従来の神降ろし的な仮装では所定の神にしか扮装しないという点です。しかし、神社というボーダーが意識されない現代では全国各地から渋谷あたりに集まった人々が全員で神になるのだから、多彩な装束が現れるのは逆に自然な感じにも見えます。現代の西欧ではハロウィーンキリスト教の行事みたいにイメージされますが、元々はケルト民族に伝わるお盆みたいなお祭りとナマハゲみたいなお祭りの合体で、それがキリスト教の文化と融合したワケです。実はクリスマスも太陽の復活に合わせて12月に行われる東方教会の伝統的儀式と冬至にモ
ミの木を飾るドルイド教の習俗とが一体化して発展したものと言われます。基本的にお祭りは文化のボーダーを越
えたりしながら変身していくものなんです。ハロウィーンが日本で変身するのは健康な文化現象だと感じます。しかも平和的なバカ祭り!変貌上等!