スーパーネイチュア 地震と鍵の神秘な関係

さる木曜の午後、関東南部で妙な地震がありました。揺れは非常に短いものでしたが、地震としては珍しく何か非常に重い物体が地面に激突したときに感じる地響きのような強烈な衝撃と小刻みな震えがあったもんですから、さすがの小生も巨大地震の発生やら富士山の大噴火やらといった色々なイヤ〜な想像を巡らせてしまいました。地震の直後に出された速報では聖地付近は震度4で震源地はザックリ言って富士山周辺ということで、ヘンな想像には現実味が増してきて何やら気持ち悪〜い午後となりました。この日には普段はないような変わった出来事がありました。実は当日の朝に外出しようってんで宮殿正門に鍵をかけようとしたところ何故かドアに差し込んだ鍵が全く回りません。回らないんで抜こうと思いますが今度は抜けません。何度も差し込んだり抜き取ったり回したり、なんかピッキング犯のようなイヤらしいようなことを繰り返した末に何とか鍵を閉めて出かけました。この奇妙な状態は翌日の午前中まで変わりませんでしたが、今は何事もなかったように元に戻っています。その日だけ鍵が回らなくなるというのも不可思議ですから思わず地震との関連とかを疑って
しまいました。例えば地震の直前まで地
面が押し上げられ微妙にに歪んだりしたならば建物も相応に変形しても不思議ではないワケで、鍵の不具合もドアの一時的な歪みによって起こったという理解が可能です。しかしドアなんかが歪むものなんでしょうか。少し怪しいと言われれば確かに怪しい話です。もしや鍵の不具合と地震の発生の間にユングなんかが言っているシンクロニシティが働いたりしたら話としては別の意味合いで面白いんですが、さて本当に何たったのか、偶然だろうというのが最も安全な話ですが、この偶然という魔法の言葉は一見すると合理的で科学的な印象を人に与えますが、憶測だけで話に決着を着けてしまうような態度は全てを超能力か何かで説明しようとするタイプの人と同等にイージーで味気ないものです。自分を利口そうにみせるという狙いがあるなら不可解な現象が話題に上るたびに“そりゃあ偶然なて”とか何とかバカの一つ覚えみたいにリアクションすればいいんでしょうが、考えてみると何でも偶然で片付けちゃうのはアタマの使い方としては芸のない低級な部類で、できればナンセンスやシュールも含めて想定可能な全てのメカニズムを出してきて検討したりする方が情報処理の過程
としては高度になるだろうと感じます。そう、全く偶然に思いだしましたが、スーパードクターとヤブ医者の違いは、患者の訴えを聞いたときに多様な視点で症状を検討できるか否かなのだとか。