蛯原硝、シャーマンに会いにいってみた。

千葉大学内の一室で秘かに行われていたのはユーラシア内陸部から来た現役シャーマンとの対話でした。シャーマンというから物凄くアブナイ目をした怪人を想像していたら出てきたシャーマンは期待とは逆で妙に健康的な感じのイケメンなアジアン・ビジネスマンという景色でした。さてさて日本の大学院で経済学を研究しているという若いシャーマンの語った驚異の世界とは …狭い会議室。シャーマンの登場に続いて現地での神降ろしの実況ビデオの上映と若手研究者による解説があった。それから始まったシャーマンの話は度肝を抜くものだった。その地域では神霊や動物霊に指導されて奇跡を見せるような人間はシャーマンとは呼ばれず本当のシャーマンと言えるのは大昔に亡くなった血縁者のなかのシャーマンの霊を降ろすものに限られるという。シャーマンの主な仕事は病の治療と後輩シャーマンの育成にある。占いも行うが基本的に占いは治療の過程の一部に組み込まれているとのこと。面白かったのは後輩の指導の話だった。若手シャーマンを実際に指導するのは先輩のシャーマンではなくシャーマンの守護霊であり先輩の役割は守護霊の指導をサポートするに過ぎないの
だとか。シャーマンの実感だと神降ろしや治療に必要な伝統的な知識や診断・治療に関する情報の全ては霊の指導の下で自然に獲得されるものと捉えられていて有能ならば全く予備知識なしに病者の事情を完全に言い当て的確な治療を行えるとのことだ。近代的合理主義に毒された教養人には理解しにくいが近代以前の東洋にも想像以上に普通に見られた事象のようだ。むしろ言語的な情報を介さない情報交換は自然界では普通のことで生物界では異種間コミュニケーションは当たり前に起こっている。また人間の世界でも識域下情報の処理やノンバーバルな情報の交換なんかも頻繁に実行されているから非言語コミュニケーションなどは科学的には特に異常な現象とも言えない。さらに現代の人工知能の自動学習過程でも事前のインフォメーション抜きの「経験」の蓄積で十分に対象の認知・評価が可能になっているというが電脳の情報処理は一面では殺気の感知や臨床の知に近い何者かとも言える。こんな点などを考えれば近代型の知性や情報処理などとは別のモデルの想定も少しは許されるだろう。中国の義和拳の修行なんかでは術の開祖の心霊の霊に直接的指導を受けていたし日本の
武術や密教の作法の一部には神伝に属するものがある。それら
を後世の人は単純に権威づけのための神話化と一括しがちだが工夫の必要な技術に取り組んだ人なら自分の知識や思考や意識的努力の蓄積の結果とは絶対に思えない質的ジャンプを時々経験するというから自分の発見体験の背景に巨大な知性の助けを感じるのも自然なことではないだろうか。シャーマンは言う。シャーマンは個人や特定の共同体に関する情報の伝達者ではなく人間世界あるいは自然界全体の大きな動きと関連した情報を伝えているのだ。だからシャーマンには高い使命感や倫理性が問われている。不純な心では霊も動かない。そんなシャーマンにとって最大にして最難関の修行とは日常的に悪いことを行わず言わず思わない生活をキープすることだとか。それが無理な不徳のシャーマンには悪質な霊が憑依したり悲惨な運命を辿ったりするのだという。怖いよ怖いよぉ!