演説中毒には近づくな!

似たようなタイプのメンドくさい人間はナゼか立て続けに出会ってしまうのです。所感です:時々妙にテーマの類似した出来事が立て続けに起こる。特に互いに無縁なのに似たようなタイプの厄介な人間との出会いなんかが一定期間に集中したりする。これが面白いというか面白くないというか。ホントに一定期間に限られて起こる。だからモードが変わると類似の人物の接近はバッタリと止む。今年の春には特別に親しくもないのに異様に馴れ馴れしくしてくる人間に連続して出くわしていた。今月は今月で独特の持論や人生哲学やウンチクなんかをひたすら一人で喋り倒すような人間に捕まっている。この喋り倒す人間というのが厄介で話題の振りから話の展開やら最後の結論まで全て一人で決めていく。相手のリアクションは基本的に軽くスルー。しかも話は単なる長話なんかぢゃない!その内容は世相談義や苦労話っぽく巧妙に粉飾されているが実態としては強烈な自慢話だ。これで自分の凄さや立派さを間接的に猛アピールしてくるのだが何が何でも貫いている自慢の人生哲学では本人も周囲も幸せになっていないのが悲しい。こうゆう類いが道なんかで顔見知りに次々に声をかけ
ては長々と立ち話を始めるという状況は田舎町での“あるある”の一つに入るだろう。不幸にも町で捕まった相手は苦悶の表情を必死で隠しつつ地獄のような演説に耐え抜くのだが連中の方は全く相手の苦しみに気づかない。それどころか相手は自分の有難〜い話に猛烈に感服しているのだと猛烈に思いこんでいるらしい。話の間に時々挟まれる奇妙な高笑いや陶酔の表情なんかが連中の高ぶる心情を痛々しいほど表している。そうなのだ連中の話は演説なのだ。連中の正体は演説は出来るが会話全く出来ない欠陥人間だったのだ。これまた皮肉なのだが連中はは自分を人より賢い人間だと思っている。たがら知識や見聞や人生経験なんか蓄積するほど逆に連中の確固たる信念→つまり連中の症状を強化してしまうことだ。こんな人間が呼ばれるワケがないだろう。呼ばれるる人間になりたかったら相手のリアクションを大切にし色んな視点を話に取り入れることだと猛烈に痛感する。このところ演説人間を大人しくさせる方策でもないもんかと夜な夜な悶えて苦しんでいるのだが今までの経験からしてショックを受けたり悩んだりしている間は類似の現象が次々に引き寄せられるようなので
モードを変えるために無理矢理にアタマを切り替えようと思う。どうもメンドくさ〜い人間に会った時にはナゼ自分が疲れてしまうのかを明確に説明出来るようになるとモードが一気に変わるような気がする。悪魔なんかが自分の名前を知られると消えてしまうみたいな感じだろうか。今のところ考えられるのは連中に共通する厄介な症状の正体は底なしの承認欲求の無自覚な放出みたいなものだということなのだが…。ううむ。