マーフィー理論でホントに開運できるのか?

20世紀は80年代から90年代にかけての時期なら開運といえばマーフィーだった。ジョセフ・マーフィー博士の法則というのはザックリいうと虫のいいことを具体的にイメージし続ければ人生が思い通りになる!というものだった。博士の著者は説明も簡潔で実例も豊富なので本としては気持ちよく読めた。実際に実践してみると不思議や不思議。入手経路も全く解らないモノが思いもよらず手に入るわ抽選に当たりまくるわ意外な人脈が突如として開けるわ。確かに風向きが急に変わってきた。しかし無念なことに本に書いてあるような劇的な出来事というのは何も起こらない。それで今も当たり前だが大富豪にはなっていない。このままぢゃ悔しいからマーフィー関連の本を次から次から読みまくったが打開策なんて見いだせない。試しに周囲にいる「愛読者」たちにも聞いてみたが結果は一様にイマイチで億万長者になれたなんてヤツぁあ一人もいない。ただ妙なマーフィー通が増殖しただけだった。そこで意地悪なことも考えてしまう。もしや少しだけ結果の出るテクで読者を喜ばせておいて次から次から本を読ませるのがマーフィー博士の狙いだったのでは。いや元々から潜在
意識の働きなんて単なる気のせいだったんぢゃないかとか。それでもマーフィー本を読卒業しようとしない人間というのはダイエット本を何年も何年も読み続ける悲しいネエちゃんたちと変わらない悲劇の開運中毒者ということになるか。こんなになっても諦めが着かない開運中毒者らはダイエットネエちゃんたちと同じく期待の方は捨てることなく効果の出ない原因の検討に入るのだ。もしかしてアメリカと日本の掲載状況の違いのせいでは?日本人に特有の遠慮や謙遜の傾向が災いしつる?エミール・クエの自己暗示法みたいに漸進的な改善をイメージすべきなの?とか…。こんな仮説を片っ端から検討してみたら結局は最初から低め低めの目標だけを設定した上で着実な開運に努めようという結論が出てしまった。つまり経済学でいうマキシ・ミニ戦略!これぢゃ身も蓋もない。そこで視点を変えイマイチな効果だけなら簡単に現れる原因の方を改めて検討してみる。すると少しだけ合理的な要因が浮かび上がってきた。どうやらら博士の主張の根底に横たわるエマソン的な人間観に開運の秘密がありそうだ。すなわち第一に人間は常に自分に与えられた現在の条件を出発点として自分
の運命を開拓できるという哲学的見方。第二に利己心や嫉妬や怨念は新しい未来への挑戦を妨げるという心理学的見方。第三に富や機会や情報を独占すると利益が自分に戻ってこないという経済学的見方か。つまり根性が悪い人間は開運できない!納得できるが当たり前すぎる。それならとトポロジーか何かを応用して博士の世界観から大胆にチャート構造モデルしたら。んでもってグラフ理論で開運のコースを図式化して再検討してみた。すると博士の見方の意外な本質が見えてきた。博士の独創性は開運の過程に善意や偶然の作用といった不確定のファクタを導入することにあるか。これにより博士は人生論に新たな平を開いたとかの評価も可能だ。あるいは従来の行動計画モデルを電算機回路型とするならば博士のモデルはスゴロク型とでも呼べようか。普通なら人間の目標達成のプロセスを左右するファクタとしては努力やら条件やらという要素[のみ]に限られているが現実には人生や運命や歴史を動かすのは多くのや人間関係や偶然の影響力だ。そう考えてみると偶然の作用を排除した歴史観や人生観は現実的かつ科学的に見えるが実際に経験されるナマの現実との間
には相応のズレがある。逆に偶然を考慮した行動チャートは不確実かつ非効率にして非現実に見えるが少なくとも終点への経路は爆発的に増えるはずだ。さぁどうする?!