ザンゲで開運?

真言密教でホントに開運できたのかの話は別の機会に報告するとしてプロの意見を聞いてみたい。例えば古義真言宗の織田隆弘師は最良の開運法はザンゲだと言っている。欧米化が激しく進む現代日本では自ら大切な自分を否定するなどという卑屈な所業は死んでも避けたいことになっているのかも知れない。これは欧米化を死ぬ気で防ぎながら暮らしている当方でさえ事情は同じで仮に開運間違いなしと言われたとしてザンゲなんて行為を勧められたら思わず二の足を踏んで引いてしまう。しかし仏教におけるザンゲのイメージが判れば私もザンゲさせて下さぁ〜いという人も激増すると予想できる。ということで仏教のザンゲのイメージを正してみたい。普通にザンゲというと最初に思い浮かぶのはキリスト教のなかでもカトリックの懺悔の部屋だろう。この部屋の中で信者は神父様に自分が犯した罪という罪を告白する。真面目な信者ほど恥ずかしい話やオゾマしい話も告白するんだとか。そもそも仏教の場合は懺悔はザンゲとは言わずサンゲと言う。しかもサンゲの相手は神父様やボーズぢゃなくて御本尊様ということになる。それでも自分の恥ずかしい話なんかを一つ一つ白状する
のは悔しいし肩身も狭い。そんな自分の気持ちを克服するのが修行だろ!とか言われたら懺悔で開運なんて諦めたくなる。しかし安心して下さい。仏教では罪を一つ一つ片付けたりする必要はございません。ただ心に罪が生じ間違った行動を起こすメカニズムを意識し自分の心に働く罪のメカニズムを観察し仏様に反省の気持ちを表すのだ。その具体的方法も簡潔明瞭で懺悔文という四行の短い文を仏様に向かって音読しながら自分の中の自己チューな欲望や感情や世界観が解体するよう祈願するだけだ。どうです?懺悔も自己否定抜きで行けそうでしょ。懺悔文:「我昔所造諸悪業界、皆由無始貪瞋痴、従身語(口)意之所生、一切我今皆懺悔」[読み方はお近くのボーズにご相談を]。こんなもんでホントに罪が消えて開運も叶うならケーサツもボーズも用無しという話だが仏様の慈悲は広大にして不可思議だから騙されたと思って実行する価値はありそうだ。毎日の懺悔で自分自身を苦しめる自己チューな心をチェックし意識化するだけでも何かの役に立つに違いない。大体において目論見という目論見が全て裏目に出て勢いで他人に損失をもたらすようなヤツぁ
あ決まって自己チューなスタンスを強力にキープしているヤツなのだ。たまにチカラ技で何でも思い通りにしているヤツも見かけるが観察してみれば常に何かにケチをつけたり不満をいったりだ。要するに実はホントは毎日が楽しくないのだ。だから懺悔しましょー。懺悔は開運の近道です。さぁ出てこいオレ様の自己チューごころ!。