密教シリーズ 解体する怨念

3 開運成就を期待して密教式のオツトメにシフトしたものの始めてみると何もしないときより状況が悪化してしまった。物凄く後悔もしたが一つ一つの嫌な出来事との格闘を通じて世界観や人生観が着実に変わりだしたことで逆に修行に気合いが入った。今になってみれば信じられない不調の数々も今まで陰に隠れていた煩悩や業が表面化して動き出した結果だったと解る。だからなのか煩悩なんかが姿を現すや不調も治まりだしたという話だ。かつて日蓮正宗の人が信心を始めると業が現れて不幸や不調が起こりだすが全ては克服できるようになると言っていたが確かに過渡的な不調体型は普遍的な信仰体験の一つ[つまり宗教あるある]なのかも。そんなこんなで不調の期間を通り抜けた後に心の表面に浮かび上がってきたのは今まで心の奥底に潜んでいた激しい焦りや根深い怨念みたいなものだった。こいつは長い年月をかけて少しずつ心に蓄積されてきた恨みや怒りや嫉妬心なんかの残骸だったんだろう。それは人間の意識には把捉されないまま人間の判断を狂わせ意地悪な行動を起こし作為的な企みを刺激的に誘発し無責任な見切り発車に駆り立ててきたのか。この見
えない怨念の働きによって人間は知らず知らずのうちに暗くて悲観的な連想のループに迷い込まれたりトラブルの当事者に仕立てられたり他の人の怨念との感応協調から生まれた憎悪のネットワークに捉えられたりするようだ。そして最後には意地悪心は本人の性格そのものになった末に歪んだ正義や迷惑な使命感に支配されたモンスターを作り出すまでになるような。そいつは人間を陰に回って操るアジテータにも喩えられるか。なにやら精神分析の本に出てくる潜在意識の話みたいだが。そいつをメニンジャーは己れに背く者と呼んだりした。そいつの正体をフロイトは抑圧された性欲だといいアドラーは克服すべき劣等感だといいフロムは言語化できない気持ちの表現だといったが小生の心には怨念の集積体として映ったワケだ。こいつを便宜的に潜在的怨念とか呼んでおく。潜在的な怨念はメニンジャーも仄めかしているように必ずしも初めから陰険で卑怯で維持悪な本質を具えた人間の永遠なる敵対者だなどとは言い切れないだろう。一年たらずの修行を通じて何とか白日の下に引き出された怨念の集積は間もなく氷が溶けていくように自分から気持ちよく解体していった。その解
体の過程とは単純な崩壊というより本来の姿への回帰みたいに見えた。もしかしたら怨念が解体した後に目の前に現れてきた明るく心地よい世界の景観は実は怨念という邪魔者が退場した世界の姿ではなく怨念が解体の末に取り戻した本来の健全な姿だったのかも知れない。あるいは怨念は常に元の輝かしい姿に戻ろうと苦闘していたのかも知れない。そういえば怨念のヤツは意識の表に現れてから即座には解体しないで少しの間だけ小生の目の前で自らの行動パターンを示してくれた。だからこそ今はヤツへの対処法も把握できたのだ。実は怨念は解体する前に自分自身の正体を見せたかったのではないか。極端なことを言えば怨念や煩悩とは仏様が人間の心を救いや悟りに近づけるヒントとして現した慈悲と方便の姿なんぢゃないのか。悪に潜む深い意味が判れば悪も悪ではくなる場合があるか。そうだとすれば全ては大日如来様の活動だという教えは確かにリアルに正しいかも知れない。