世界史で開運 ペルシャは美しく負ける

ネストリウス派を拾ってくれたペルシャは初期のイスラム教世界のなかでは極めて損な立場に置かれていた。当時のイスラム教界の上層部は全てアラブ人で中でもウマイヤ家のメンバーだけがオイシイところを独占していた。お世辞にもエレガントとは言えなかった当時のアラブ人の下に置かれてワリを食っていたペルシャ人にとっては同じイスラム教徒のアラブ人よりも高度な知識と技術をもちながらも大きなチカラに苛められていたネストリウス派の方にシンパシーを感じたんぢゃなかろか。とても他人に見えなかったに違いない!さてさて何度となく東方世界を我が物として支配したペルシャだが逆に新バビロニア(カルデア)やギリシアに支配されてきた。当時の西アジアや内陸ユーラシア地域には多様な文化が同居し生き生きとした交流が続いていたそうな。そこで支配する者も支配される者も多様性の中で生きる知恵を模索していたものと想像できる。そしてペルシャイスラム世界の一部に組み込まれるころには美しく負ける完璧なテクを身につけていた。誰にも負けない頭脳があれば恐れるものは何もないというのがペルシャの知恵のツボになる。そしてペルシャ
は世界に呼び掛け
る。みんな集まれ。ペルシャでなら能力が生かせる!こうしてペルシャアッバス朝の時代にはイスラム世界のセンターを取るこに成功し昔に勝る栄光を勝ち取るが13世紀にはモンゴルによって統治される。モンゴルに支配されていた長い屈辱の時期をペルシャ史の区分ではモンゴル時代と呼んでいる。この時代にも文明の中心としての地位を保っていたペルシャは政治的には支配されながらも文化的にはモンゴル帝国の西半分を従属させていた。西モンゴルの支配者階層は積極的にペルシャの文化や学問を学び後にはムガール帝国を興すことになる。実はムガール帝国 のムカールという名前もペルシャ語でモンゴルを表す言葉だったそうな。そして実際にムガール帝国の支配者も自らがチンギス・ハーンの末裔だと自認していたのだとか。その後のペルシャはトルコに遠慮したり欧米化してみたりしながら現在に至っている。国の強さにも色々あるが一般にはモンゴルの強さみたいのを強さだと考えてしまう。しかしペルシアの強さも強さの一つだろう。 チカラでは支配されても文明のセンターの座は誰にも譲りませんという一貫したスタンス。勝つことばかりに執着して
いると逆に美しい負け方が出来ずに惨めな一生になっちゃうかも。近くに美しい負け方の人を見かけたら迷わずマネしましょー。ペルシャ以外にもベトナムのように勝ちには行かないが巨大な相手にも決して負けない強さをもつ国もある。ホントは日本だって強かったかも。例えばABCD包囲網の中にあっても後のキューバのように耐え抜けていれば大東亜戦争をするより国の経済的な消耗は小さかったかも。いや大東亜戦争じたいが起きなかったかも。その前に外交も。元々攻めやら勝ちやらに固執ばかりに負けた日本。せめて専守防衛に徹していればカミカゼだって早めに吹いてくれたかも。それで平和も守れたたんぢゃないか。