密教シリーズ ホントに開運できるのか

4 んで密教にシフトしてホントに開運できたのか。答えはYESです。ただし開運は思っていたよりラクぢゃなかった。普通なら修法するにつれて順調に状況が好転してゆくみたいなのを想像したくなるが実際には開運の確かな手応えは皮肉にも不運や不調の連続の中でしか確認できなかった。まず開運の第一段階は混乱期か。例えば気持ちよく修法できたり何か新しい着想を得たりすると必ず嫌なことが起きた。なにやら運を掴むとツケを請求される感じか。次に来る段階は演習期か。不運の中で祈願すると不運や危難から脱出できるようになった。いわゆる大難は小難に小難は無難にという感じ。もしくは人生ラクありゃクもあるさか。こんな妙な体験もあった。町で人を待ってたらマズいモンスター家族が近づいてきた。隠れる場所も適切に対応する余裕もない。もう祈るしかない。すると突如として一陣の風が吹き傍らのノボリの布が我が身を見事に隠してくれた。こうゆう劇的なのは例外とするにせよ確かに嫌な出来事が増えるほど変な展開で助かることも多くなった。 そこで思い出した。昔のサムライの中には敵に気配を察知されないよう密教の摩利支天法を剣術の修
行と並行して修法した人もいたとの噂。ちなみに呪文はオンマリシエイそわかぁ!この時期には自分の中に潜む作為や意地悪心の動きを意識できるようになった。さて第三段階は実習期と言える。色んな場面でタイミングが絶妙に噛み合うようになった。少し不謹慎だか待ち合わせに遅れたときなんかには首尾よく相手も遅れてくれる。出先で偶然に人に出くわすので行き違いなしに用が済む。たまに神田なんかに出掛けると探している本が激安値段で一挙に見つかる。ここら辺りは大きな縁に守られているという感覚か。実を言うと当方は横断歩道が苦手なんだが最近は車にに邪魔されないので横断がラクだ。なんたって車が勝手に避けてくれるから楽チンだ。さて開運の途中には不可思議な出来事も続発したが振り返ってみると不運や不調は自分の心の進化を確認するテストになっていたようだ。そして運を左右しているのは何らがの超自然や神秘のチカラというよりは自分の心の状態の反映だっったと感じる。確かに心が雑で浮わついているときには不運のモードが動きだしていたし修法を通じて心が浮わつかなくなるにつけペースを狂わす出来事は減っていった。もちろん今なお面倒
や厄介事との縁は切れていないが基本的に無事な人間になれた。これは自分にとっては一つは奇跡そのものだ。