今年のゲーノー界も相変わらず

貴乃花:初めは相撲取りの暴行事件だったが貴乃花vs相撲教会の遺恨試合になった。当事者間のゴタゴタ本体だけでも収拾が着かなくなっていたのに外野から是非論が三度のメシより大好きなインテリ勢力が入ってくると事態は余計に複雑化する。インテリにとって是非論の極致は暴力の是非論だから話は自然の成り行くから暴力容認論と暴力反対論のバトルに流れ必然的にインテリは貴ノ岩の師匠である貴乃花の肩を持つ。ついでにインテリは弱者や被害者が大好きだし反逆者なんかは好物の中の好物だから初めから話は是非に及ばずになっている。インテリにとっては貴乃花の意地悪的な動きも非協力的態度も特に気にならないだろうし逆に協会側の親方が毎日のように貴乃花部屋を訪れる姿も嫌がらせに見えるのだろうか。だから貴乃花の強硬さを少しでも批判したり加害者を少しでも擁護しただけで暴力肯定派にされる。最後にゃ法律とは別に組織が独自に規則を作るのが許せないと言い出す始末。この論理的展開は情報隠蔽の伝統や暴力容認の体質の批判を軽く超越している。もはや問題の明快化ではなく条件反射だ。でも他人の意見も聞かない気に食わない決まりは守らな
い何でも一人で決めちゃう人間はインテリにも嫌われそうだ!
松居一代:最後の芝居がかった会見はホンモノの義太夫かと見まがうばかりだった。世間は離婚が決まって大喜びするのは松居一代氏ぢゃなくて船越氏の方だと強烈な違和感に苦しんだだろう。でも無理矢理に善意の深読みを試みれば松居氏こそが離婚できて嬉しかったんだと思う。んなら年を通じて怪しげな動画まで利用しつつ必死で離婚を阻止しようとしていたのは…。言葉というのは不思議な生き物で言いたいことを全て言わなくても何とかなっちゃうものなので離婚できたと大袈裟に歓喜の声を挙げる松居氏の本心は言葉の背後に置いてきぼりにされていたと考えることは許されるか。やはり松居氏は離婚を望んでいたのか。ただしカネが減らない離婚を…だ。でもねえ。他人に負担を与えて掴んだ幸福は長続きしません。
清水遼太郎:遼太郎青年に限らず多くの人が他人に反論すれば反論するほど自分の主張の説得力が増してゆくと思っているが現実には言い返せば言い返すほど反発を生み反感を呼ぶのだ。しかも味方が減って行く。それでも言い返したくて仕方ないなら言い返そう。言い返したら必ず相手の知恵を求めよう。そして知恵が全く返って来ないようなら今度は思い切り言い返そう!