お正月の修法はトランスパーソナル。

正月の7日間は普段に増して観想を念入りにし作法を丁寧に行なった。そうすると開ける意識もあるんだと思った。作法と観想に並んで特に気を付けたのはオツトメを利他行として行なうことだったかも知れない。元旦あたりは様々な事柄に次々に思いを向ける形で観念していたが5日目くらいからは今この世界の中で同時に起きている色々な出来事を想像するようになると観念がラクになった。有縁無縁の人々や世界のために祈るというのは自己満足に終わりそうな無意味な営みにも見られそうだが修行のためには間違いなく役に立っているような気がした。少なくとも始めに天下泰平や人々の願いの実現を祈ってから修法に入ると何かに導かれるような気持ちでオツトメが進んでいくのを感じる。なんというか開けた自分が多くの人々による親切のリレーに助けられて目的地に導かれるような感覚。その先には確かに個人の心の領域には収まりきれない大きな心が予感された。普段とは別の意識の中ではホントに他人の見え方が違っている。遠近も優劣もない人間。これも不思議な感覚。今年は修法を通じてトランスパーソナルな世界を感じられればと願ったりしている。