何か作用するのか。

密教の何が心を変え縁を整え運命まで左右するのか。不可思議な縁の働きを何度もリアルに感じていると超自然や神秘のチカラの実在を普通に信じたくなる。しかし密教の世界で体験される縁の働きは超能力のように自分の意のまま操作できるものでもなさそうだ。だから密教修法を簡単に超能力のトレーニングと同一視するのは少し乱暴な感じがする。密教の修法で利用するのはイメージだから何となくマーフィーの法則ニューソートの類似品か何かかと思われがちだが密教が相手にするのは運命や能力よりも境地や福徳だし利用されるイメージに期待される作用も情報のインプットではなく心のクリーニングに近いんぢゃないか。密教は修法を通じて福徳を積み境地を高める過程だ。そのスリリングな過程は実際の作法と観想の中で体験されるものだろうが修行体系全体を貫く一つの方向性みたいなもさえ示せたなら普通の人の日常にも大きく役立つんぢゃないか。そのヒントは例えば五大願という文の中から発見できるかも知れない。この五大願は毎日のオツトメで唱える密教独自の文で仏教徒の5つの誓いが示されている。密教以外の仏教宗派では五大願の代わりに4つの誓い
を示す四弘誓願を唱える。この2つの文を比べると密教の独自性が浮かび上がってくると期待される。まず四弘誓願
は1:全ての命ある者を救いたい。2:全ての煩悩を破壊したい。3
:仏の全ての教えをマスターしたい。4:最高の悟りの境地に到達したい!一方の五大願では3と4の間に全ての仏に仕えたいという誓いが加わり四誓願の4は5にスライドする。これで五大願だが注目すべきことは2つ目の誓いが密教では全ての福と知を集めたい!になっている点か。つまり普通な仏教では悟りのために煩悩を断つと考えるのに対し密教では初めから煩悩は相手にしてないのだった。しかも煩悩を無視する代わりに最高の福や知を集めようというのだから話が大胆すぎる。。この大胆すぎる態度は日本密教に古くから伝わる阿字観という基本の修行にも当てはまりそうだ。心の中にあるアという根元的な声と清らかな月の光のイメージで世界を一杯にしてゆく。それにつれて声と光に感応した全ての存在が同時に自らの本来の輝かしい性質を目覚めさせるとイメージする。これを繰り返していくとココロとカラダと呼吸と縁とがホントに自然に整ってくる。やはり操作というより感応か。こんなん発想の転換だけで修行の質も激変すること
もある。ちなみに阿字観作法には黒地に月を表す白い円を描き円の中に黒い梵字のアが置かれている特別の図像が必要。手順は始めに図像から白い月を
胸に引き入れ胸を中心に月を宇宙一杯に拡大し終われば月を縮小し図像に戻す。この最後の手順は忘れりれがちなんで特に要注意と言われている。