中はフワフワ外はカリカリ!

アメリカ人はクリスピーな食べ物が大好きなんだと宅のロラン・バルトは少し皮肉を交えて言う。宅のバルトの話だとアメリカ人は美味しいものは何でクリスピーで表現してしまうんだとか。なんせ美味いビールまでクリスピーなんだそうな。日本だったらクロワッサンなら中はフワフワ外はパリパリで唐揚げなら中はジューシー外はカリカリに尽きるだろう。この美味しい感覚は密教の印にも通じそうだ。指を組んで印を作ったときの感覚が中はフワフワ外がパリパリになると形もキレイに決まるような気がする。つまり手のひら側の空気を優しく包み込むようにし印の輪郭はカッチリとクリスピーにしてみる。真言宗では真言を看板にはしているが伝統的には印が修法の肝心要だと言われる。だからなのか印は優雅にとも言われるが元々掴み所もないせいか優雅な動きや美しい形を作るのは意外に苦労する。そこで手そのものの感覚をヒントに工夫に入ると全く掴み所のない印が少しだけ解りやすくなりそうな予感がする。身体感覚から印を考えだすと印の優雅さは単なる出来栄えの美しさの問題を超えて自分の気持ちを作るのにも大きく役立つのではと思えるようになった。もしや印の
身体感覚には謎を解き心の宝庫を開く秘密の鍵があるのか!印に現れる身体感覚が全身に伝わると確かに全身の感覚や働きが変わってくる。しかも感覚は世界全体へと広がっていく。このようにして印を感覚から捉えながら工夫すると様々な感情や心境も自在に表現されることが解る。印で心境が表せるとすると輪郭のシャープさや手のひらのフワフワ感の違いでは色々な仏様の本誓も直感的に表現できそうだ。不動明王様と観音菩薩様を手の中で体感できれば印が観想と一体になって仏様の三昧にもホントに入れるかも知れない。今さらなんだが印の大切さを意識し始めた。