カラダが戻ってくる

近代中国の瞑想家の因是子は座禅やらヨガやら気功やらと色んな手法に手を出しすぎぢゃないかと周囲の人から説教されていたらしいが因是子は自分は瞑想一筋なんだと答えたという。当方も身体技法を通じた世界認識という長い名前の課題一筋で色んなものを手広く実践しているワケでもない。身体気泡としての瞑想は奥深く面白い。それにしても座禅の威力は恐ろしいもので飲んでザツになっていた所作も一回の座禅で元に戻ってしまった。飲んだら座ればいいなら今後も安心して飲める気もするが飲んでカラダが狂うのは嬉しくない。毎日の瞑想では空間のイメージ化と重心の調整が正しい動きの役に立っているようだ。だめ押しで立禅に入る前にカラダを緩やかに揺らしながら体重移動を行なった。一見すると瞑想はカラダには効かなさそうだが工夫しだいでは意外にカラダに効く。特に瞑想の前に背骨の傾きと各部の歪みの確認を通じて重心の偏りを意識するだけでも結果が違う。こんな感じで身体感覚を磨くことで所作が整うのが判る。またカラダの側からも瞑想をサポートできる。カラダの歪みや偏りを何とかすれば疲れや痛みなどといった座禅の苦痛が減って長時間の意識集
中もできる。昔はハタヨガなんかを心の底からバカにしていたけど今は自分の無理解を恥じている。その態度は完全な間違いだった。反省している。