日曜は変な人々が動く

人間は経験を通じて独自の知恵を身に付ける。でも悪い知恵ばかりが目立つのが悲しい。そして悪い知恵の方が勝つというのも悲しい世の常だ。さる日曜の話だが前回は後輩格の仲間を同行させてきた例の新宗教の野郎が昨日は年季の入った先輩格の仲間を連れてきた。お決まりの手口だ。先輩格の男性は非常に腰の低い礼儀正しい人だったが人が違っても言うことは相変わらず独善的て自身満々だ。集会に出ませんかというから出る気ないというと必ず行きたい気持ちになりますよだって。どうせ頻繁かつ執拗に訪問してきて相手の根負けを狙ってんだろう。悔しかったら宗教の魅力で人を引き付けてみいぃて!まぁ無理やろなぁ!一方いつもの暑苦しい野郎め。しばらく来ないという約束になっていたのに来やがったんで話が違うやろと言ったら毎週のように来られたら困ると言われたから2週間めに来ましただとさ。ついでに明るく言いやがった。顔をみるだけなら問題ないといったから顔をみに来ましたって。これも戦略だとは言え相変わらずの根性の悪さが滲み出ている。せっかくの頭なんだから使い方を考えてなさいよ。ああ新宗教なんて変な人間を引き受け変な部分を強化する
珍妙なる社会装置だ。面々に帰ってもらった直後に一人のジイさんの空恐ろしさを思い知ることになった。表面のヘラヘラした態度からは想像もできない強気で老獪な知略で周囲を手なずけ脅し思うままに状況を操っていった。昨日も住民の話し合いでて他人に負担を被せるために珍妙な論理を縦横無尽に駆使していた。さる日曜は変な人間に出くわすダメな日だった。低層社会には悪い知恵ばかりが蔓延している。低層社会では忍耐と泣き寝入りの立場をとるか悪い知恵に対抗する別の悪い知恵を身につけるしかないものか。これが低層社会の悲劇的なスパイラルなのか。。