しくじり預言者

ああ酒を飲んだのは失敗だった。ユダヤ教イスラム教では酒は避けられるというけど確かに禁酒の戒律は人生を無難に過ごすための最大の知恵と言えるかも。ユダヤの人々に危機的な状況が迫っているときに預言者と呼ばれる偉大な人物が現れた。預言者は予言者と区別される。預言者の使命は基本的に神様の意向を人間に伝えることにある。もちろん未来を予告することはあるが普通の意味での未来予知とは本質が異なる。預言者は主に危機的な状況の到来を予告する場合が多かったが昔のユダヤ人の歴史観では多くの災害は人心の乱れや社会の堕落によって引き起こされると理解されていたので預言者の主要な役割は人々の改心を促すことにあったと言える。ただしユダヤ人はアダムとイブの昔から何度も痛い目を見ながらも過去の教訓を忘れ飽きずに失敗を繰り返した。自分で気づけないならと神様が遣わした歴代の預言者に警告されても人間は態度を改めもせず過去と似たような失敗をやらかしてしまい結局は失敗を通じて初めて預言の意味を理解したユダヤ人は折々に教訓を蓄積し戒律を再確認してきた。んこうして見ると預言者は未来を予告するというより過去の過ちの繰り返
しを警告してきたとも捉えたくなる。ただし!預言者は神様からの使命を帯びているとはいえ自分の生き方に関しては当人の自由意思に任されていた。だから預言者さえも堕落したり失態を残したりしている。ここにユダヤ教の深みが見えたりする。ユダヤ教の聖書には膨大な量の歴史が記載されているが特に興味深いのは成功者や人格者の失態の記録が意外に多いことか。日本社会では普通に考えられる成功者や人格者とは失敗しない人の別名みたいになっている。ユダヤの歴史の中には預言者エリヤのような完全無欠な人物も稀には現れるが情けない人々も続々と登場してくる。あの賢者ソロモンでさえ一時は色ぼけになり若いネエちゃんを追い回した挙げ句に惨めに敗退という失態を演じて後世の笑い者になっていたりする。どうもユダヤの知恵によって失敗のない無難な一生なんて保証されないようだ。なら教訓も戒律なんて役に立たないじゃんということになりそうだが考えてみるとユダヤ人は何度でも失敗を繰り返すけど何度でも態度を改めて再スタートしてきたんだからユダヤの教訓は失敗したときにこそ未来志向で役に立つんだ。そりゃ初めから失敗しないに限るけど自ら失
敗を経験しない人々は失敗を避ける知恵は得られても失敗に対応する知恵は得られないに違いない。それでも失敗しない教訓だけを学ぶか。それとも失敗したときの教訓も学ぶか。