パワハラと当事者

今回の女子レスリング界のパワハラ騒動だが2つのステージが同時に論ぜられているように見える。一つは暴言が絡む問題で一つは選手やスタッフの活動の場や立場を脅かすような嫌がらせの問題。おそらく純正なパワハラの核になり現に問題になっているのは嫌がらせの部分か。今回は特にメンドくさいのは嫌がらせの背景に男の嫉妬なんかが隠されていることかも知れない。そフィギュアスケール界みたいに自由に指導者を選べればいいのにね。もそもセクハラに代表されるハラスメントは当初は明らかに他人の自由を奪い一方的に不快感や心的ダメージを与える類いのもので度外れた異常行動だった。しかも元々は各人の感受性に基づいて成立する犯罪行為だった気がする。しかし時間が経つにつれてハラスメントの種類や範囲が無制限に拡大し互いがハリネズミ化する結果も呼んだ。これは忍耐の裏に隠されていた様々な社会的な悪を白日の下に晒すことになった。この新しい状況も基本的にはハラスメントの当初の概念と同じく当事者の感受性の問題が問われている。これに続き近年になってセクハラやパワハラなどの成立要件が個人の感受性という基準を離れ行為そのもの特性の
方に移りはじめているのが非常に気になった。こうゆう風潮の中では同じ行為に対しても特に不快感をもたない個人はハラスメント撲滅の障害として扱われる形になり得る。そうなると主観に深く関わる問題が当事者抜きで論ぜられるようになる恐れもある。小さいことを気にしないこと自体が悪になったり知らないうちに誰かと敵対させられる場合も出てくるかも。なんせハラスメント事案の告発は当事者の意思とは全く無関係に誰でもできるのだ。決まりが多すぎて息苦しい。決まりは少にゃあ方がええよ。