ここらへんに落ち着いた

やはり密教の複雑な作法にも往生するがツボが明確に示されてない観念の世界には別の意味で往生こく。実験しはじめたころは単純に真言と印と観念を規定どおりに正しくすれば何かが起こるとか思い込んでいたけどスキルだけでは何も動かないことが判った。観念についてはイメージするのが仏様の姿なのか仏様の境地なのかという見解も伝統によって異なるし元々仏様の境地なんて凡人にはイメージしようがないのだから結局は手も足も出ない。しかし試行錯誤を重ねながら工夫を続けてみたら修法にはイメージと並んでイメージに対応した身体感覚が重要なんだと気づいた。画像としてのイメージだけで仏様が実感できないときには身体感覚を工夫すると驚きの効果が現れるようだ。そこで修法全体から準備段階と護身と三昧と祈願という4段階をクローズアップしてみた。これで複雑な修法の全体像も見えやすくなるか。これなら月輪観からも試せそうかも。まず修法に入る前の準備段階に必要なのは世間のために修法する気持ちや仲間や先輩と一緒に修法している気持ち。それに自分と世界が同時に本来の姿を現していく感覚が大切か。護身は修法の入り口で変身の段階になる。ま
ず浄三業で自分に
内在する悪などの不純物を解体した代わりに三部で仏様の働きが現れると観念する。このとき自分だけでなく全ての人にも同時に作用が現れてくるイメージが効果を上げるか。次に被甲では自他の心に住む意地悪が燃えながら消えていくよう願う。続いて三昧の段階に入り御本尊様をイメージするときは仏様の姿から自分に迫ってくるインパクトを受け取る。また経典に示された仏様の誓願をそのままイメージするだけでもイメージそのものが自然に仏様の境地に変わってくれるようだ。真言を唱えているうちにドライブ感や浮遊感やエネルギー感が動き出すと余計に観念が深まってくる。こうなると観念するのが仏様の姿なのか境地なのかで悩まなくて済みそうだ。その後の祈願の段階では最初に自分を支えている膨大な縁を確認し続いて様々の具体的な助けが自分を目指して集まってくるイメージを作り祈願に入るのが有効か。これは他人のための祈願でも有効みたいだ。祈願の締めくくりでは仏様の慈悲のなかで全ての仲間の心が一体化していくイメージ。さらに一人一人の願いが一体化して働いているイメージ。これだけ気を付けて置けば修行そのものも楽しくなってくる。変な超能
密教の魅力や暴走する欲望や根拠のない優越感なんかに幻惑されたりせずに何とか安全に修行が進められるんぢゃないかと感じる。これは経験の浅い当方の自分勝手な見解です。もしや反面教師になるかも知れません。あくまでも参考まで。