座禅の姿勢:構造→操作→フィードバック

肩先の操作で全身のチカラを抜く工夫をしていたら突如として姿勢についての誤解が解けとしまった。姿勢という言葉には身体の構造と身体の体勢という2つの側面を区別すべきか。最近まで姿勢ができていないせいで40分くらい座禅していると腰とケツの左側がが痛くなって意識も散漫になっていた。禅宗では座禅は最低でも1時間がザラだから座るのがキツい。密教なら観念も20分くらいで何とかなるし顕教の観でも30〜40分だからギリチョンで大丈夫だ。最近になって座禅中もチカラが抜けると共に肩先が自然に下がるようになって腰やケツの痛さも軽くなった。座禅に要求される様々な注意点の意味でも解ったことが多い気がする。これも全て今になって姿勢が出来てきたためだと自覚できる。ただし姿勢が出来てきたら姿勢についての理解が以前と大きく違った。座禅では姿勢を丁寧調整するが座禅でいう姿勢には明らかに2つの意味があることが判る。普通の意味での姿勢は身体の操作の結果であり体勢の意識的な選択のことだ。ところが座禅の世界で意味をもつのは普通とは別の姿勢だ。これはカラタの体勢ではなく構造のことで歪みの有無に左右されるものだ。この
ような姿勢の第二の概念は主に整体術の世界で重視される部分になるか。これを便宜的に構造と名付ければ座禅では身体の構造が出来ることで正確な体勢を採れるようになり細かい注意事項も正しく守れるようになるようだ。構造が定まれば操作/調節が可能になり調節が出来ると一種言外の身体感覚が現れると考えられる。だから座禅はカラダの状態をフィードバックするモニタとして活用したい。座禅をするときは闇雲に姿勢を正す前に身体の構造を確認し対応策を工夫したい。これは単なる座禅だけの問題を超えて日常生活に広く役立つ工夫だと思う。当方みたいに座禅が苦しい人はカラダの歪みを中心に自分を考え直してみては?!でもメンドくさい人は早めに信頼できる整体院へ!