日蓮様とポワの論理

日蓮様が斬首の難に遭われたというエピソードは歌舞伎ネタとしては最高だけど史実としては疑わしいという人も結構いる。ホントは当方も少し疑っている。なにしろズーボなんか殺した日にゅあ即座に仏罰が当たって死ぬという空気が支配していた時代だ。でも日蓮様が獄門首になったかも白ない状況証拠も思い付く。なにしろ初めてズーボを殺しても罪を背負わないという主張を堂々と展開したのは他ならぬ日蓮様なのだ。もちろん日蓮様だけあって思いつきや思い入れでは主張しない。金光明経や大集経や仁王経に薬師経なんかの記述に基づいて悪いズーボや堕落したズーボを死刑に処した王様が逆に素晴らしい果報を受けるという根拠を示し念仏の禁止を主張したのだ。この論理には例のポワの思想そのものに見える。日本では例のカルト教団が出現する800年も前に早くもポワの思想を正面から語る人物がいたのは恐ろしいが確かに仏教には恐るべきグロテスクな思想が混じっているのも事実だと言える。しかし皮肉だ。もしや日蓮様は自分の論理のせいで首を斬られそうになったのかも知れない。