女人禁制ゲーム

土俵が女人禁制だという件。もちろん今回のような緊急の場合は女性の助けを感謝とともに受けるのが望ましかったと思うし撤退要求など言語道断な話だと感じる。ただし女人禁制の是非まで論じるというのはねえ。この件でも外野やネット野次馬が騒ぎ出し騒ぎに乗じたインテリ連中が問題を女人禁制の是非論に引き込むんだろうとか見越していたが案の定という景色だ。おそらくインテリ連中は男女差別はダメだやら女も自由に土俵に上がれるようにしろやら言って最後には日本中で女人禁制狩りでも始めようかと支度をしているに違いないとか邪推したくなる。とうやら早くも女人が撤退した後の土俵に塩を撒いた件を引き合いに出す輩も現れたとか。インテリというのは一部のネット野次馬と同じで疑り深く勘ぐりが激しく被害妄想が強くて気にくわないことには即座に不機嫌になるという連中のようで塩を撒かれたことが女性に対する差別だぁと気分を害しているそうな。ありゃトラブルや不祥事や変則的事態が起きた場所を象徴的にリセットする儀式なのね!うん。差別もダメだけど被害妄想もダメよ!まぁそろは措いとこう。今回の件でホントに驚愕したのは長い伝統と知恵の
蓄積をもつはずの相撲界が一方で女人禁制を唱いながら様々なトラブルに対応できる男性スタッフを全く常駐させてなかったということだ。女人禁制に対して特にギモンが抱かれなかった近世までの社会の話は別にして近代になってから久しい相撲界が今まで不測の事態を全く想定してなかったとしたらノンキを通り越して恐ろしい。今の時代に女人禁制を文化として貫くには相応の覚悟やエチケットが必要になるはずだ。それば例えばゲームにおける下層的な時間や空間のように期間や場所が限定されるとかエリア内では男性スタッフで一切を仕切れるようにするとかの措置も必要か…。今や女性の職人も普通になった状況を考えれば能力や意欲のある女性から特定の文化や伝統を理由に理不尽に機会を奪うのは未来にとって不幸なことだ。我々は望むと望まざるに関わらず近代に生きているんだから近代の論理からは逃れようがない。んなら男女を問わず活躍の場があった方が正しいし出来れば男女ともに活躍できる場所が確保された方が理想的かも知れない。おそらく世の中から男女差別がなくなることで社会は今より暮らしやすくなるのは当然だ。でも女人禁制や男子禁制がなくなる
ことが同じような意味をもつかは甚だギモンだ。なぜなら人間には原則を逸脱した非日常的な変則的なゲーム空間が必要になるときがあるからだ。例えば宗教や魔術の世界も日常的の原則を反転させた一種のゲームだ。相撲における女人排除には封建社会の論理も反映されているのは当然だが脱日常的的なゲームという側面がもつ意味も意外に巨大だと感じられるのだが…。男女の平等が少しずつながら進んでいる今では逆に男女別のゲーム空間のニーズが特に高まるかも知れない。改めて確認したいのは差別するのと差別しないのがとかの是非を問われたら誰でも差別しない方が望ましいと答えるに違いない。だからといって反差別論者の主張や提案の全てを誰もが無条件に是認できるかは別の問題だ。