蘇るアジャリ様の思い出

去る4月10日にアウトドア法会が行われた山頂には400年くらい前まで天台宗系の古い学問寺があった。後には付近の低地に移り今は宗旨も真言宗に変わっている。さて法会の終わりに頂いた資料集の中に寺の由緒書きが入っていた。文章は壮麗な文語体で流れるような書体も美しい。今や資料はワープロ書きが普通な世の中だからゲージツ性の高い書体も打ち出せるようになったかと思いながら読んでいたが何か遠い過去の日の空の下にいるような妙な感覚になる。それはデジャブュ感ともノスタルジアとも違う未体験の懐かしい感覚。もしやコリン・ウィルソンのいうX効果?だとすれば400年前まで同じ山の中腹にショボい砦を構えていた我が母方の先祖の記憶か。んな気持ちになりながら文章の最後まで来ると懐かしいアジャリ様の署名があった。この資料は全て今は亡きアジャリ様が生前に手書された筆記のコピーだとたのか。20代のころ密教の手解きをして下さったアジャリ様は普段から関東の果てにある寺と京都の本山とを往復し各宗旨の本山を飛び回っておられ激烈に多忙でいらした。そんな中で大量の筆記や図像や録音資料を残されていた。確か寺の由緒を書いた
話も伺った覚えがある。それが今この手にある。あぁ懐かしいアジャリ様。70代を過ぎたアジャリ様は尋常ぢゃないハードなスケジュールの合間に膨大な記録を残し若手の育成に奔走し音声資料の保存に尽力されていた。その超人的なバイタリティーを現実に目の当たりにするだけで20代だった当方にも密教のリアルなポテンシャルが深く実感された。蘇ってきたのは当時のアジャリ様から受けた強烈な感銘だったのかも知れない。それにしても貴重すぎる時間を割いてまで当方ごときに密教の手解きを丁寧にして下さったアジャリ様の心境とは…。ご恩に全く報いられず学んだ精神を世の中に役立てることも出来ていない今の身が情けない。