ゆとり世代でもスマホ世代でもない!

昨日は町の中で奇妙なモノをみた。普段は誰もいない昼間の商店街に買い物客が行き交っていたのが不思議だった。でもホントに不思議だったのは普段は高齢者しか歩いていない通りを5ら6人で連れだって歩いてきた20代と見える見知らぬ男女の集団の姿だった。デカい声で喋りながら道一杯に広がって歩いては止まり止まっては歩く行動を繰り返し町で唯一のスーパーの入り口で立ち話を始めたかと思うと何の迷いもなく全員が店の入り口あたりの路上に座りだし今後の行動予定を話し合いはじめた。どうしてくれよか考えていると全員が立ち上がり再び道一杯に広がりつつ歩いて来た方向へ戻っていった。女が男に何とも言えない不自然な感じで甘える声が聞こえる。まぁ乱暴狼藉を働くでも居座って迷惑かけるでもなし早々に立ち去ってくれたのが面々の礼節の現れと思って密かに手を合わせた。な〜む〜。こんなん話を振ったのは最近の若い者を嘆きたいからぢゃない。気にしているのは老若男女や貴賤僧俗を分けず今の日本全体に様々な形で現れている心配な傾向だ。それは何でもカンでも当人が前もって想定していた範囲内でしか物を考えず同じく初めから設定していた状況
以外には反応しない傾向だ。この傾向が面倒なのは現代人が世代や階層を選ばず以前より遥かに主体的になっている一方で考えが狭量で独善的になっている点だ。改めて昨日の面々の所業を捉えなおすなら面々は単に設定したままに主体的に動いていただけで罪も悪意もない。面々にとって考えないものは存在しないも同じだし知らないことは知る必要のない事柄にすぎないのだろう。むしろ面々だけが異様な意識の持ち主なのではないところが改めて怖い。なにせネット検索やネット通販の常識化は未知の領域や不確定な媒介者を通過することなく初めから自分が設定した情報や物品をゲットできる世界を当たり前にしつつあるのだ。これぢゃ当面の未知の領域や意外な縁なんて誰にとっても不要になるどころか邪魔になったって不思議ぢゃない。これぢゃ生身の人間そのものまで排除されるかも。例えば新入社員が飲み会に出てくれないのも若い世代が何に対しても大丈夫ですと答えるのも都市の高齢者が他人の親切を嫌うのも他人の生活領域に平気で踏み込む写真愛好家たちも家族や決まった友人としか人間関係を作らない住宅街の住人も世代を問わず恋愛を面倒がる男女も当たり前な
存在だ。人間が暮らしてのは今のところ見知らぬ人々と共
に作り出している社会だったはずなのを多くの人々が忘れはじめている。こりゃ改めて怖い時代だ。とても適応する気がしない。でも想定外が消滅した世界なんて言わば自分にとっては想定外な世界そのものだ。んなら常に行く手に未知なる領域を予感する茶道や武術の知恵で乗り切るのも面白いじゃん!ぐわぁあああ!おめらの周りに多趣味ていながら他人の関心事には全く反応しねえ人間はいね〜がぁ。ウンチクばかりで会話が全く成立しぬえ人間はいね〜がぁ。知らねえ人の目の前で急にケータイ出して通話しだす人間はいね〜がぁ。駅の階段の真ん中で調べ事を始める人間はいね〜がぁ!こうした振舞いを単なる育ちの悪さや無教養のせいだと嘆くことも出来るかもしれないが本当なのか。本当なら逆に安心できるじゃん。