ケータイにコンパクト燗想

修行の甲斐あって日常の動作だけは日々間違いなく無駄なく狂いなくなっている。だが酒を飲みゃ一挙に逆戻り。それでも酒に何とか対処できたと思ったら今度ケータイだ。まさに山を越えたら山があっただ。ケータイも酒に劣らずカラダがザツになるから厄介だ。今や街にも田舎にもザツすぎる迷惑なヤツが大増殖してるが実はスマホの普及の祟りぢゃないかと固く確信する。スマホならずとも少しケータイ画面を凝視しずぎたが最後。カラダは固まり真っ逆様に元のザツなモードに転落だ。結局は重ねた工夫も苦心も油断一つで水の泡。一昨日もケータイで文章を書き直し書き直しししていたら案の定。モノを掴めば落とすわ無くすわ壊すわ。ビンの蓋は閉まらないわ歩きゃあ足元のモノを蹴飛ばすわ考えりゃあ当たり前の判断を誤るわ。なんだか以前に全く同じことを書いたような気がする。それで皮肉な形で今までの修行の効き目の凄さを確認できた一方で修行の道の遠さも実感した。これぢゃ修行の意味もない景色だかモノは考え様で新しい場面に出会うごとに新しい工夫をするのも修行ということにして今後も明るく修行に励みたい。んで何とか現状を打破しようってんで夜中に例の超
コンパクト燗想から座禅に入った。光のシャワーを浴び炎の中で身体感覚を取り戻し風の中で所作の呼吸を作り直した。風の動きがカラダの動きを誘発するので調子に乗って脳内合気道に流れ込む。いやぁ翌朝には驚きの効果。やはり方円自在流揉術を本気で旗揚げしようか。