MeTo!私もTokioだ!

セクハラ問題に敏感になっている今の日本。事が強制猥褻も絡む事件となればTokio山口メンバーの乱行には同情の仕様がない。会見での悲痛な表情を見ると何とか助からないかと祈りたくなるが同情しように同情できなくて心が痛む。ましてや飲んべえの所業となれば当方にも他人事とは思えない。だから一般論としての人間の問題に対してなら激しく同情したくなる。やはり憂いが深いほど求める快楽も大きくなるものか。自分でも掴めない衝動や痛みを抱きながら生きていれば仮初めの救いを追求したくなるんだね。どうか山口メンバーには二度と飲まないなんて言わないでで抱える憂いもなく幸せに飲める毎日を迎えてほしい。人間は長年の経験の積み重ねによってマグマのように心の中で蠢いている様々な欲望やら情動やら妄想やらといった危ない魔物の存在を早くから掴んでいた。それから近代になってフロイトが無意識領域の働きの解明挑んでから少なくとも100年。それでも人はヨガ行者や心理学者か何かぢゃない限り自分の中の暗黒マグマの存在を忘れて暮らしている。この暗黒マグマはインテリが考えているほど気楽に対処できる相手ではなさそうだ。インテリ
は自分の振舞いには用心深い対応をしているだろうが地底のマグマにはまったく注意を向けていない節がある。でも人間が無意識の動きを忘れたときこそ無意識は好き放題に動きだすようだ。誰でも一日のうちには何度でも自分の行動や考えが意識から完璧に抜けている経験があるはずだ。忘れたためでもなく不注意だったためでもなくホントに抜け落ちる経験だ。こんなときにも間違いなくマグマは動いている。それだけでなく飲んでいるときも急いでいるときも想定外の事態を前にしたときも状況は同じだ。議論に熱中しているときなんざぁ余計に危ないからインテリとて安心していられないだろう。仮に自分を癒しているときでも地底の安心マグマは眠らない。当面は大丈夫と安心していても一生は長いのだ。たまには誰でもが同じ罪人になることを思いだし明るい精神生活のためにも地底のマグマを観測していきたい。