姿勢の乱れは仕事の乱れ!か?

昨日は中核都市のケータイ・ショップに行ってタブレット絡みの問い合わせた。ショップに入るとダラシな〜い感じに背広を着た兄ちゃんが上体をフラフラ揺すりながら出てきた。要件を告げると面倒くさそに聞いたことに答えたのだが答えが終わるか終わらないかのうちにカラダが楽屋に引っ込む体勢に。より詳しいことを聞こうとすると席を離れたままで無理ですとの邪険な対応。なにやら今回の話はケータイ会社で対処できる事態ぢゃなかったらしい当方が私は知りません的な態度が悲しくなる。んなこんなで話が終わり席を立って出口に至るまで声も出すでもなかったのは予想どおりだった。ケータイ・ショップなんざぁんんんなもんだと解っちゃいるが無念なのは昨年に同じショップで応対してくれた兄ちゃん二人が様座な手立てを提案してくれた上に色んな手配を試みてくれた記憶があったせいで結果的に失望と落胆が倍増しちゃったことだ。以前なら対応が悪いショップを出たら途端に怒りに任せて強めの酒に走るのだが今や酒の前に観の修行に入るところまでに心は進化したものの気持ちは腹が立つ代わりに店員の兄ちゃんの暗くて不幸な将来像に悲しくなるばかりだった。
自分自身には責任も権限もないとはいえ客の期待に添えなかったとき対応からも逃げようとする店員には例えば店で食中毒を出しても原因は食材加工会社の不手際だからと客に全く謝らなかった焼肉屋の社長と同じ運命が待っているのかも知れない。かつて当方が安くてボロいギターを下げて訪ねた一流ギター屋さんが親身になって相談に乗ってくださった上に可能な限りの対応をしてくださったのを思い出す。大体が三流の店では時間的余裕があるほど仕事をこなすことだけを考えるようだ。人間や地位にも三流があるかは断言できないにしても確かに仕事や人生には一流も三流もあると思う。万事に丁寧に向き合う人は振舞いも美しいし幸せも集められていると感じる。昨日みたいに自分の重心にさえ無関心でいる人間なら周囲の状況の微妙な変化に気付いたり対応したりなぞ出来る道理もないだろう。何でも姿勢を整えりゃあ幸せになれるなんて言わないがザツさは間違いなく自分自身にとっても不利な方向に働くだろう。