それでも世界は幸せを見つけにいく。

新幹線の事件で世間に広がる絶望的な気分の重さに耐えていると遥か昔に同じ6月に大阪の小学校で起きた大量殺人事件が報道された。それでも悲惨な事件が次々に起こっているとき隣ではエキサイティングな出来事も起こっている。これが世界だ。悲しいけど今日も世界は多面的に動いている。きっと小さいときの悲しい記憶の隣にホントは忘れられた幸せな記憶が隠れているのかもしれない。もちろん逆の場合も。とにかく私たちは自然な状態では過去を多面的には再現しないようだ。昔々いいもの見れたと最初に思ったのはアポロの月面着陸だった。その日は晴れていて楽しい一日だった。それからベルリンの壁の撤去とソビエト崩壊。そのニュースを聞いて仲間とビールで乾杯していた。これは生きてる間にゃ絶対ないと思っていただけにインパクトが尋常ぢゃなかった。これに匹敵する歴史的イベントには出会えそうにないだろうと本気で予測していた。そしたらキタチョーと米国が。いいもの見れたと思った。ちょんまげ時代に黒船を見に行った人の気持ちを少し共有できたか。その日も色んなことが起こっていたに違いないのだが。