出たな怪人!

去る土曜の夕刻に例の悪質宗教が急に訪ねてきくさった。相変わらず見識が狭そなネチネチした馴れ馴れしい野郎。悪質宗教の連中は複雑で珍妙なことを喋りまくる割に内容は単純バカで変わり映えがしない。要するに連中は拝めば運が整って幸福に恵まれるなんて相手かまわず他人に幸せを無理強いするのが関の山。だから悪質宗教にとって一般人は何が何でも不幸ぢゃなきゃ気が済まないし都合も悪い。悪質宗教の連中は人生が裏目裏目に出ている人間の悩みに巧みに漬け込んでくる。んぢゃ幸せそうな相手には用がないかというワケにも行かない。連中は相手を何が何でも不幸なことにしたいから痛々しいほど無理矢理な論理で毎日を極めて幸せに暮らしている人々まで見事に極めて不幸な人間に言い変えてしまう。曰く:あなたは幸せそうには見えないとか意地になって強がり言っているのが見え見えだとか。その幸せは簡単に崩れると言うかと思えば求めている幸せのレベルが低いから不幸なのを幸せかと勘違いしているんだと言ってきたりする。しまいにゃ不幸に慣れきっているから感覚が麻痺しているんだなんて。この珍妙な論理は確かに一面の真理には見える。正しく見える
からこそ詭弁に利用される。例えば軽犯罪に快楽を見いだしながら暮らしている人間なんぞを考える。一般人から見れば紛れもなく自ら不幸な生活を選んでいる愚かで哀れな人間だが当人たちが自分たちは基本的にマットーに蹴らせていると信じていたら仕方ない。だから人は誰でもは自分が幸せか不幸かなんて判定できない。ここまでは間違いない。ただし連中の決定的な間違いは幸福の多様姓を初めから議論の中に入れてないとこだ。んなん簡単な間違いにゃあ普通に自分で考えてりゃバカでも気づく話なのに連中は考えるのを放棄してるからバカぢゃないくせに判らない。だから考えないヤツはバカより始末に悪いね。とにかく悪質宗教が悪質なのは自分で考える能力に欠ける人間ばかりでなく自分で考えることを放棄した人間や自分で考えなくても済むよな環境を自ら好んで選択してしまうよな単純バカやらクソ真面目やらを積極的に取り込みながら膨張してゆくとこだ。悪質宗教が単純バカやクソ真面目のテンションを変な感じで上げちゃうから我らが悩み苦しむということになる。しかしテンション上げるだけで幸運になったよな気分になれるなら悪質宗教の研究を通じて人工的
に幸せな気分を作るためのシステムを発見してやりたくなる。ヒントは連中に共通なテンション。おそらく現実の状況に左右されない虚構の持続的なワクワク感!よおし見ておれ。必ずエッセンスを高純度で抽出し純粋培養によって思うままに量産可能にして悪質宗教なんか必要としない時代を作ってやるそ!