やはり阿片の正体とは…

悪質宗教のせいで週末は気分が重い。でも人々を惑わす麻薬の秘密は掴めてきたぞよ。それは宗教的ワクワク感。平和利用しないと気が済まない。ワクワク感を内的ドライブ感の心理的表現と捉えて実際にドライブ感を意識しながら動作してみると確かにワクワク感も現れる。特に歩きながらドライブ感を意識するとワクワク感も長続きする。操作を続けていくと無駄や引っ掛かり感なくカラダを動かせるし消極的な連想が働かないせいか行動や判断も無駄なく効率的になっている。要するにワクワク感で表現される内的ドライブ感が動き出すと動作や意識が横から干渉されにくくなるのという単純な話だ。嬉しいのは気のせいでは済まないレベルで急に物が見やすくなってきたこと。こりゃ何なんだ。やはり宗教的ワクワク感の正体は推測どおり内的ドライブ感で正解だったのか。こんなんでホントに運が向いたり人生全般が好転したりするなら悪質宗教の大言壮語なんざぁカエルのションベンだ。もう変な理論も窮屈な禁止事項も重いノルマも必要ないのよ!こりゃ勢いでマーフィーの成功法則の秘密にも迫れるかも。マーフィーについては昔から一つのギモンがあった。それはナゼ本に
は劇的な実例が嫌というほど満
載されているのに身の回りのマーフィー愛読者どもからは小さな…正直を言えばチンケな奇跡の体験談しか入って来ないのかというギモン。ヒドい野郎になるとマーフィーは普通の人ぢゃ実損できないなんぞと講釈する始末だ。ただマーフィー理論では運動感覚についてのアプローチが弱すぎたために効果が喚起しにくかったかという可能性は残る。確かにマーフィーもリラックスやワクワク感について随所で語っているが基本的にはイメージも含めた言語的暗示によるアプローチが主体になってることは否定しにくい。しかも言語的暗示よりも運動感覚を媒体にしてみた方が妙な観念や無意味な興奮を避けられるという利点もあるからマーフィー法則への身体的なアプローチなんかも改めて検討したくなる。試しに歩行するイメージによって内的ドライブ感を形成した上でマーフィーをやってみることにする。それにしてもワクワク感そのものは期待どおり持続するものやら。