みんなで足止めの術

島で行方不明になっていたチビッ子が無事に発見された。発見されたときの状況には色々と不自然な面もあるらしい。そういえば以前に飼育施設から逃げたカメが逃亡時よりキレイになって発見されたなんてこともあったが今はは無益な野次馬根性は封印し素直に当事者と喜びを共有しよう。おそらく今回のニュースを耳にした日本中の善意の真言ユギはチビッ子の無事な帰還を人知れず本尊に祈ったことだろう。それにしても大人数で何日探しても見つからなかった一人の人物が20前後という短い時間のうちにチビッ子を発見したのも驚異だった。そして山の斜面で何日も過ごしていられた二歳のチビッ子に内在する命の働きの物凄さをリアルに感じた。そこに人間の願いの世界が見えたりもした。こうゆうのが密教でいう生きた祈りの本来の姿なんだろう。真言ユギが信じるべきことは特別な功徳によって働くチカラより実践を通じて普通の人たちの間に目覚める仏様のチカラの響きあいみたいなものなのかも知れない。真言宗は祈りの宗教だ。だから願いを大切にする。ただ願って何になるといわれそうだが困っている人に何もして差し上げられないとき真言ユギは思わず祈りたくな
るものだ。祈るだけでは何も起こらないかも知れないが人間の中で目覚めるのを待っている仏様の知恵を信じて自然に祈りはじめる。たとえ何も起こらなくても祈っていれば難儀している人の気持ちに本気で寄り添う心を育てる訓練くらいにはなると願って今日も祈っていく。きっと願いは行動に魂を吹き込む。んで仏様の働きを揺り起こす。