我らのイコン

今年の激暑の夏は永遠に終わらないんぢゃないかと本気で恐れていたが夜になると遠くの草むらで秋の虫の声がする。夕暮れの風からは超インドな熱気も抜けていてアスファルトの隙間ではネコジャラシが黄金に輝きながらフリフリと風に揺れている。今日は暑くない。それだけで嬉しい。単純に秋の接近を感じる。こりゃまた異常気象の中を帰ってきて頂いて…。こちらも一安心でございます。人間は自然界の秩序そのものを見ることができないから一つ一つの現象を通じて見えない巨大システムの様々な働きを捉えてきた。いや時間でも神の愛でも心に秘めた熱い思いでも人間が捉えられる何かを媒介にしていないければ人間は何の存在感も捉えることができない。例えばギリシャ正教にはイコンの論理がある。イコンとは見えないものを見えるようにする媒体だ。その極限の表現はキリストだと言われる。つまり本来なら人間の目には見えない神の愛の働きを見える化するために神は人間と共通の痛みをもったキリストという究極媒体となって自ら人間の只中に現れたという世界観。もうイコンはキリストと同じ論理で現れた神の愛の表現だから単なる絵なんてもんぢゃない。自然界も
人間のための無数の小さなイコンを用意してくれている。しかも無料。ただし人間の方は快適で安定的な生活を確保するに当たってイコンというイコンをノイズと同じように自分たちの日常空間から遠ざけるようになった。それに日常の中で亡き人の魂や妖怪たちの存在感なんかを誰も感じなくなったのもイコンやノイズの退場の結果なのだろうか。そんなもんがなくても特に生活上の実害も出てない ことだし大多数の人は見えない領域との交流に何か切実な意味なんて感じてないに違いない。んなわけで今や住宅街では忌々しくも暑苦しいセミの声なんかホントに聞こえなくなっている。だから人里にいたら秋が近づくにつれて鳴き声のテンポの速いセミが増えていくのにも気づけない。今のところはテレビのドラマでも夏の場面には当たり前にセミの声がしてるけど数年後のドラマではヨーロッパ諸国の映画みたいにセミの声のない夏が当たり前になるかも知れない。それも悔しいからゲリラ豪雨を連れてくる巨大入道雲を見上げて自然界の絶対的チカラを感じてやるしかない!ノイズもイコンもない世界には快適な世界になるだろうか。