二通り

♪「運のいいやつ悪いやつ男はいつも二通り」なんて歌詞がある。確か松本隆氏の作品。心に残る太田裕美さんの歌の一節だった。同じように当方の極度に独善的な基準によれは女も二通りしかいない。どうゆう二通りかと言えば例えば路傍で何かで困っている誰かに説教しにいく女と手助けしにいく女の二通りだ。改めて強調しておくが今の意見は当方の極めて独善的な基準に基づいている。実は先ほど買ってきたばかりの惣菜の袋が破れてバッグの内部がベタベタのジャボジャボになってしまったのだかベタベタでジャボジャボになったバッグから荷物を救出しているところに近見知らぬ中年女が近づいてきて事情を訊ねるから事の顛末を話すと女は袋に入れなかったからダメなんだとか言うのだった。そこ現状を説明しながら袋に入った惣菜を取り出して見せると今度は袋を縛っておかないからダメなのよとか抜かす。ご説明は的確至極なんだが今ここで優先することが他人に出来る具体的対応ではなく説教と指図だったとは。もしも世の中の女の大多数が説教するタイプの女だったら当方は十里四方には女を近寄らせたくない。どうですか?こうゆう女って意外に多いんぢゃないです
か?こうゆう女は同じ女の皆さんから見ても気に障るんぢゃございませんか?もちろん当方が言う女とは基本的に遺伝子上の女ではなく社会的に作り出された役割上の女のことだ。つまりジェンダーの女。だからホントは女の問題ぢゃない。そもそも男なんてまのは生物学や自然史の立場から見れば女に厄介になっている単なる寄生虫。少し遠慮した表現を使えば生態学的な居候にすぎない。なにしろ遺伝子レベルぢゃあ男は元々から安定的な女の染色体に抱きつく形で世話になっているのだ。だから用済みになったカマキリのオスがメスに食われるのもミジンコの一種のように必要なときだけ腰からオスが発生するのも仕方ないことだ。でも人間の世界で困っている人が路傍で狼狽しているときに迷わず説教しにいく女は勘弁してほしい。もちろん困っている人に手助けしないで説教しようとする人間が悪いのは男だからとか女だからとかの話ぢゃない。男女を問わない人間の品性の違いの問題だ。でも現実には知らない人に説教する女に社会は寛容だ。少なくとも同じことを男が強行したら社会的に許されなだろう。ということで説教するか助けるかは本質的に男女の問題の外にあること
を確認したとして。でも人間がホントに二通りに分類できるのかということになると再び当方の発言の根拠が危うくなる。しかし人間の本質論とは別L人類は確かにレヴィ=ストロースの野生の思考のモデルに似た何かを利用して色んなものを二通りに分類することで危険を避けたり平和を維持したりしてきた。そして今なお多くの人たちが根拠も怪しい色んな二通りで身を守っている。だから女の二通りも当面は勘弁してほしい。どうしても承伏ならないということであれば説教と手助けは人間の二通りに変えても吝かでない。これなら男も女も大目に見てくれると期待できそうに思う。