不調の前兆を捉える

アキュビューのCMの姐さんの「ああコンタクト乾く」が疲れたオッサンみたいで素晴らしい。しかも「裸眼みたい」に思い切り出ている解放感が心に来る。ところで昨日の荷物ベタベタ地獄みたいに変な状況に捕まえられるときには間違いなく何かの予兆みたいなのがある。いや感じるのは予兆というより兆候だ。それは不調モードの最初の微弱な動きの現れだったのだ。そもそも昨日は例の自己愛バカ女に出くわしたところから調子が狂いだしていたと思われる。だか自己中女との遭遇は予兆ぢゃなく不運そのものだというべき出来事だろう。いつものように路上で長々と退屈な自分話を聞かされて疲れきったが次に不調のピークが待っていたとは全く予想してなかった。不覚。ただ不調の兆候は昨日から現れだしたものではない。思い返せば一昨日の夜中。観に没入していたところ久しぶりに宮殿のの各所で異音が響き掛けてあった布が落下した。普通なら霊の仕業とかを疑いたくなる状況だが観のときに音がしたり者が落ちたりするのはザラだが原因は霊ぢゃない。それは基本的に心の中に潜む未処理の煩悩が動きだした印だと経験を通して解っていたから少し嫌な予感がしたが油断
して放置していた。さこへ昨日の荷物ベタベタだ。こっちはホントの意味での予兆と言える現象だったかも知れない。しかし実は予兆を感じる前に不調は予測可能だっ
た。なにしろ不調は必ず一定の条件下で引き寄せられていたからだ。その条件とは多くの疑問が一気に解消されたり
従来の発想を根本から変えるモデルや原理が発見できたような状況だ。要するに新しい境地が開けたときに不調は埋め合わせのように始まるみたいた。そういえば数日前には運悪く一念三千の原理がシンプルに整理できたばかりだった。あるいは小説のアイデアが浮かんだのが祟ってきたのかも。今のところ問題なのは発見とセットになってる不調の予防や回避や軽減なんかは可能かということか。どうも不調や不運による実害は修行の深まりと共に間違いなく軽減しているようだから安心している。そうだ。昨日の自己愛女の自分話も周囲への不満ネタが極端に少なくて救われたっけ。