田舎の親切は不親切より不愉快

台風の翌日は暑い。今日も朝から晴天で予想どおりべラボーに暑かった。ときに大宰治の津軽に書かれているように東北の親切は時に大迷惑になる。今日の昼も用事を済ませて外で思索を深めていると通りかかった顔見知りの東北出身のオジサンが間もなく戻ってきたかと思うと勝手に買ってきたアイスを食え食え食えと無理矢理に突きつける。これが三度目の無理強いだ。これまでは丁重に謝絶しながらも押しの強さに負けて嫌々頂いていた。なんせ急にアイスを渡されても外で食えるもんぢゃない。今回はハトキリいらんといったが追いかけてきて遠慮するなとばかりに何が何でもアイスを掴ませようとする。海外で相手の信頼を得るために苦心した当方としては不器用ながらも相手に親愛の情を何とか示したいという切実な気持ちは痛いほど解る。でも田舎の気配りや親切なんざぁ悲しいけど実体としては相手の気持ちも状況も置いといて自分の独りよがりな思いを満足させたいだけの有害無益な行為に堕してしまう。つまり単なる悲しい自己満足になってしまうのだ。日本特有の気配り気遣い気働きなんて必要ない!場合によっては害悪だ。そんなことを考えるヒマがあったら相手の
状況を的確な方法で確かめた上で適正に対応すれば済むことなんだ。相手の状況も読めないまま気分次第で善人の真似事をするくらいなら場面場面で物を訊いてくれる方が遥かにマシというものだ。しかし東北流の親切に腹が立つのは的外れの行為が有難迷惑なためぢゃない。謝絶したが最後で後は死ぬまで恨まれるところだ。それにもましてや泣かしのは件の純朴な気配りオジサンの娘さんというのが実は茶道家だというところだ。ついでに切ないのは東北出身者の中には東北というキャラに甘えて東北を自分の不器用さの言い訳に使おうとする人がいることだ。実は当家も東北とのハーフなんだが東北って世間がイメージするほど不器用ぢゃないよ。