祈願は個人を超えて

祈願をさせて頂くときは自分の念とか仏様の加持力が光線のように特定の対象に働きかけるというような気持ちで祈っても通じる実感が得られかった。むしろ初めから仏様の慈悲の働きで世界全体が変わっていくのを祈った方が感応が顕れやすい気がする。それは世界が変化する勢いに自分や対象も流されていって勢いで変わってゆくみたいな意識か。だから最近は自分も含めた全人類とか神々とか世界とかを相手にした大きな願いの成就から祈願を始めるように心掛ける。出来れば具体的な祈願に入る前に諸願成就の邪魔になる様々な煩悩や執着から全ての命ある者が解放されるよう祈れたら勢いも違うし手応えも出てくる。例えば失せ物探しとか護身とかタイミングの調整とか。始めに全ての煩悩が炎に焼かれ水で洗い流され風によって運び去られるように消滅し多くの心が解放される様子をリアルにイメージしていきながら金運なら禁欲とか名誉欲とかいう厄介な気持ちも共に消え去るように祈る。それから所願成就した後の様子を意識すると色んな感応が体験しやすい。やはり祈りのキーワードは超個人レベルの悟りになるか。どうやら真言密教の世界では仏様の霊妙なる働きは初め
から悟りと一体であり個人を超えた大きな単位でこそ動くように出来ているらしい。だからこそ密教では現世利益と修行が一体化されるんだし法界利益なしでは個人の悟りも救いも成り立たないと考えるのだろう。今後も祈りも大きなスケールと大きな目的意識で深めて行きたい。