少し威張ってただろ

ああ無事に帰ってくれてよかった。世間では人質から解放されたジャーナリスト氏の一連の言動から自己責任の問題が議論されているとや。こうした議論は毎度の流れで何かの是非論に移行してゆくんだろう。そもそも議論の元は現地に出る前に日本政府を激しい敵意を込めて強烈に非難しながら命が危うくなるや同じ政府に救いを求める易々と帰国してくるジャーナリストの態度にあったか。そこからはジャーナリストを救出することの是非論やらジャーナリスト本人が救いを求めることの是非論とか様々な是非論が生まれてくる。これらの他にも色んな是非論が想定できそうだけど最後にゃマスコミが自己責任を問う風潮を嘆いて終わるのが関の山だろうと予測したくなる。これらについて身も蓋もないことを言うと近代国家なら政府には国民の命を嫌でも何でも守る義務があるしジャーナリストには政府の欠点を指摘する役割が保証されるから上のゃうな是非論そのものが元々成立しない。しかし非難の声が上がり是非論が広がるのは何か正当な動機や理由があるからだ。大体の場合にネット上で是非論が起こり一般人を巻き込み激しい議論を誘発するよなときにホントの動機や理由は
意外に直感的な部分にあったりするんぢゃなかろか。例えば貴○花論争でもアメフ○騒動でもペッキ○の不倫がらみのゴタゴタでのように実は特定の人物の特定の傾向に対する人々の反応の差が是非論のホントの正体なんぢゃなかろかと思う。端的に言って今回のネットへのジャーナリストによる一連の書き込みに滲み出ていた何とも言えない根性の悪さや威張った感じが人々の不興を買っただけなんぢゃないか。もちろん当人の根性の内実は確認のしようもないけど言ってみれば単純に助かった人間が意外に根性の悪そうだったんで色んな人々が嫌なことでも言ってやりたくなったというだけの話で仮にジャーナリスト氏の命が助からなかったら一般人は今度のような残酷な是非論には加わらなかったかも知れない。一部のジャーナリストたちはネット上のジャーナリスト批判に剥き出しの嫌悪感を表しているけど元々ゲーノー人でもない面々は好感度の重要性なんか少しも気にも止めないから自分たちの不遜さを指摘する無名の人々の声も単なる低レベルな野次くらいにしか感じないのやも。そこが不遜なんだよね。それにしても今回の騒動で意外に感じたのは帰国直後のジャーナリスト
氏の態度に
対する非難が驚くほど少なかったことか。会見のときに奥様の好感度は確かに高かった。とぬかく改めて助かっ
てよかった。