好奇心は強いけどハロウィーンも知らない

ハロウィーンが何月何日なのかも知らない。多分まだなんだろうと思っていたら今週の平日らしい。ハロウィーンを前にした週末の渋谷ぢゃ度を越した悪ふざけや狼藉もあったとやら。中でも物騒だったのは盛り上がった群衆が走っている軽トラを止めた上に車体を持ち上げるわ横転させるわという乱行。まさに集団心理の怖さを感じると同時に被害に遭われた当事者の驚きと恐怖と絶望感を思うと人様のことながら心が痛い。こうゆう事件があると識者は昔も今も決まって若者の鬱屈したエネルギーを云々する。つまり基本的に識者は集団化した若者の暴力や乱行の原因を機械的に憤懣やストレスに求めようとするようだ。それは正しいとは言えるが今や聞きあきた金太郎飴のような同じ解釈を聞くたびに議論からは何が重要なファクタが恒常的に抜け落ちているみたいでヘナヘナな感じの気持ちになる。何と言うか半分は正しい識者の意見も本質的に若者の心情を反映してない気がする。それは昔は若者だった自分の意識や気分を忘れてしまったオトナの声か。そして少なくとも渋谷の軽トラ横転事件は集団心理によって解放されたのは鬱積した感情とか言語化できない不安とか社会に対
する無形の不満とかよりも普段は抑圧され調節されている子供のゃうな好奇心なんぢゃないか
と考えたい。んで自分が10代20代のころの意識を思い出してみる。ああゆうときに車が止まっていて人が群がっていて全員の気分が高揚していたら普段は絶対に試すことが出来ないことを試してみたくなるだろうど思えた。屋根に乗ったときの気持ちは?車は何人で持ち上げられるか?人力で車を倒せるか?乱行の悪質さの割りに全体の雰囲気が妙に明るく見えたのも鬱憤より遊び心の発露だった可能性を匂わせている。もちろん被害者のことを考えるとホントに心苦しいけど正直な気持ちとして自分にもチャンスさえあれば色んな好奇心を満足させてみたいという悪魔の声が聞こえたりする。ただ当方は幸いにも色んな面白い経験や見聞に恵まれているから特に他人様に損害を与えたり法に触れる罪を犯したりせずに好奇心を満足できている。確かに今の社会ではトナの好奇心や子供心を満足できる場所は見当たらない。んな肉体派で実験的な体験イベントも少ない。やはり乱行はハロウィーンや鬱憤や抑圧伊敷のせいだけぢゃない。んでハロウィーンは何曜日?