気づけばテキトーになっていた

高級ホテルから閉め出されそうになった高級食い物屋。真相は今のところ解らないけど立場が悪くなるやオレ様のブランドがあったからホテルも稼げてたんだぞぉなどと思わず言っちゃう了見そのものが嫌われる理由なんぢゃなかろか。ねっ久兵衛ぇ。んなことより自分の切実な悩み。放置していた自分の心の厄介な動きが観の効果で掴めてきたというのに新たな問題に出会えば普通に気持ちが弱る。これぢゃ修行なんかしたって意味がないと言われても文句が言えない。いやいや修行の甲斐あって昔に比べりゃ信じられないほど心が広くてラクになったぞと無理に言い訳してみるが現実にラクになってないぢゃんと言われたら次の言葉が出てこない。やっぱり観なんてのも所詮は対症療法やら気休めみたいな程度のものなのかと改めて弱気になったりする。というときになって自分が観に慣れすぎていて昔のように丁寧に心を観察してないことに気づく。このごろぢゃ観は日課みたいになっているけど昔みたいに心が怪しい状態になると取り敢えず観に入るなんてことはしてない。今日も面倒な面々の連続攻撃や悪質宗教の執拗なアプローチに不安が募る。この状況に今も明るく対処できな
いでいるのは必要に応じて心の状態や動きや歴史を観察しなくなった自分の落ち度だったのかも。今の時点でも観を通じて解ってきてるのは今日の弱気な感じの正体は常に変な人間に近づいちゃうよな変な出方をしちゃうアホな自分に対する先行き不安に他ならないか。この出方の背景には好奇心とか冒険心とか自分の技量への過信とか要するに自分の利口さか何かを確認したいというゲスなスケベ心が隠れているようだ。自分の知らない自分の心の企みをガバと押さえたら今年の上半期みたいに心が自由になるだろうか。