心霊主義で開運?

霊で開運といっても変な儀式で本物の霊を呼びたそうという話ぢゃない。開運に利用するのは心霊科学の世界観だ。世間には自分の運の悪さを嘆くくせに自分の間違いやミスは死んでも認ないし時分の行動を変えないし不本意なことは絶対やらないよな人が結構いる。その挙げ句にゃ自分の人生が思い通りにならないのを何でも他人や運のせいにしちゃう。。こうした面々がいう運は法則も原則もない偶然の成り行きのことであり触れ込み上は法則も原則もあるオカルト的な運の概念とは違ったものだ。科学がオカルトに圧倒的に勝利してから久しい現在では確かに今さら心霊もないという話だが何でも他人や運命のせいにする姿勢の非科学性は控え目に言っても心霊主義とドッコイの負けず劣らずの五十歩百歩だ。
んなら心霊主義の世界観のツボとは何だというと第一には心霊には自由意思があることで例えば心霊は我らの態度を見て我らとの関係を決めるという点。次に心霊は霊的エネルギーの質に反応することで例えば心霊は我々の信頼に応えて協力的に動いてくれるという点。続いて心霊世界と物質世界はネルギーを媒介に交流することで例えば悪意や無関心や無感動は心霊の創造的介入を妨げ人間の周囲は全て退屈な必然だけの世界になってしまう点。ついでに心霊世界のエネルギーの変化は少し遅れて物質世界に現れることで例えば我々が心霊の動きを理解しないまま乱暴に行動すると状況が厄介になるという点。
こうなりゃ公正で優しい心霊たちの協力を信じつつ思いやり深く生産的な気持ちで行動して心霊たちとの明るい協力関心を強化していくのが得策だ。逆に運を逃しまくってる人は心霊の法則をマイナス方向に回している感じだ。常に何かについてクチを付け文句ばかり言っている人間には不満だらけの霊が集まるし周囲にも不満だらけな物質世界が出現してしまうものか。そりゃ了見がいい人が必ず幸せになるとは限らないけどメンドくさいヤツは基本的に酷い末路を迎えている。こんな人は心霊主義者より遥かに気持ち悪い。