やっぱりバカはラクしたがる

バカだねぇ。単純に会社でキューリョー貰ってるオトナが何も考えずに室内でガス抜きしだすとは日本人の劣化も引き返しの効かないレベルに到達したものと言えるか。かつて米国で焼き肉も焼けるレンジに愛するペットを入れて死なせた上にレンジの製造元を告訴したという騒ぎもあったが今や日本も米国を笑えないレベルか。基本的にバカは何が何でも手を抜いてラクしようとする。 いや話は逆で何が何でもラクしようとするよな人間そのものが世間でバカと呼ばれるのだろう。なぜって無理矢理ラクすると大抵は後で余計にタイヘンになる。もちろん世の中には少しの工夫や手配をすればラクになる仕事は山のように存在する。その少しをバカは省略してラクしようとする。現在の段階で伝えられている情報が正しいなら爆発事故(事件?)は元々職員が賃貸物件の消臭・消毒を省略(手抜き)してラクしようとし自らの不手際の隠蔽をガス抜きというイージーな手口でラクしようとしただけでなくガスを抜くのに屋内で済ましてラクしようとした結果と言える。
しかし一般論として人がバカをやるのはアタマが悪いせいとは言い切れない。あるいはバカの多くは当人のせいでバカになったんでもないよな気がする。もしや特に70年代くらいからの日本社会が追求しはじめた社会的方向性つまり各人の意思や価値観を可能な限り尊重するという方向性の祟りなんぢゃないか。
例えば人間が知りたいことを知れるのは望ましいことだが各人の意思のみを尊重する社会が成田たつなら知りたくないことの全てを知らないままで済む社会が望ましいかはギモンだろう。もちろん自分の意思を無視される方が嬉しいか尊重される方が嬉しいかみたいな一部のインテリが得意な反問に対する答えは初めから決まっているがインテリの問題提起は本質的に言語というバーチャルな世界でしか成り立たない幻のようなシロモノだ。問題は各人の意思を無制限に尊重すると社会に何が起きるかだ。やっぱり情報化も進んだ日本なのにバカが増えてきたのは知りたい情報は好きなだけ得られるのに知る必要があっても知りたくない情報が入力される場所も機会もない現代の日本社会のせいなんぢゃなかろかと。となれば現代社会は意思の尊重が必要に応じて制限される場合があると認めた上で改めて意思の尊重を唱うべきなのかも知れない。たただ悲しいのはインテリに対する当方のシュールすぎる反論もバーチャルな言語世界内での空しい営みたと解っているという状況か。