O・Rマンと稀希勢の里の別々の悲しさ

稀勢の里の引退表明は相撲ファンばかりでなく日本じゅうに変な感じに気持ち悪いショックを残したんぢゃないか。とにかく今は今後の活躍を願うばかりだが同じ話がO・Rマンだったら別の意味で余計に悲しいはず。それは稀勢の里がO・R的に最悪中でも最悪なタイミングで引退を表明したからだ。そりゃ当人にしてみれば悩み悩んで悩み抜いて出した決断だったのかも知れないが考えた結果が思いつきと同じだったら悲しすぎる。特に今日は三敗の稀勢を力付けるために地元の大応援団が大挙して会場に乗り込んでくるという日だったのはマズい。稀勢ばかりでなく世の中はタイミングの意味や影響力を嘗めきっている。思い立ったが吉日って言う考えも役に立つのは相手が無意味に悩んで行動に出ない人だけだ。みんな本人なりに悩みはするが悩みの末に結局は思いつきで行動を起こし必要以上に損をして泣いている。稀勢が今日も負けるデメリットは今日の段階で辞めを決意するデメリットを考えたら最悪でも今日の夕刻に引退を表明すべきだったか。もちろん本人の立場に立てば冷静な判断なんか出来る余裕もないのは当たり前だ。
だからこそホントはO・Rの知恵を利用して貰いたかった。
O・Rは今なお社会に認知されていない。だから全国のO・Rマンも役に立てる場面を前にしながら何も出来ない悔しさに震えていると思う。チクショー悔しい無念だ。しかも逆にO・Rでメシが食えている人が大学で理論の解説や数式の演算だけをして満足してるのも残念だ。かつて東工大でO・Rを教えていたという民主党(当時)の鳩山元首相が沖縄の普天間基地の県外移転を提案したとき沖縄に先だって最初に米国を訪問し米国への忠誠なんかを表明してきたのを見て当方は日本では今なおO・Rの地位は低く現実には単なる教養の域に止まっているのかと絶望したのを思い出す。あんときゃ全身の体力が抜けた。今までの勉強は何だったのかと自分の存在意義さえ疑わしくなった。あんな落胆は大学院で某商事会社の次期社長候補に軽く振られたときのに勝るとも劣らなかった。もう三年くらい本の内容がアタマに入らなかった。思えば振られた気持ちを共有できそな人なら地球上に何億人といそうだがO・Rマンの悲しみと孤独を分かち合える仲間は簡単には見つかりそうもないからO・Rの悲しみの方が切ないか。